桜本寺 (京都市北区小野)
 Ohon-ji Temple
桜本寺 桜本寺 
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収蔵庫

扁額「櫻本寺」


付近は旧小野郷になる。


【参照】近くにある「日下部大助家住宅」(京都市登録有形文化財)
 北区小野の桜本寺(櫻本寺、おうほんじ/さくらもとでら)は、周山街道沿いの集落内に、いまは収蔵庫だけが残されている。 
 現在は無住で、龍沢寺(小野上ノ町)が管理している。
 本尊は観音菩薩。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、1011年、第63代・冷泉天皇の陵が「桜本寺に築かれたとの伝承がある。(「帝王編年記」)
 1068年、第70代・後冷泉天皇の火葬地について桜本寺とされ、かつて塔が立てられていたとの伝承がある。(「山城名跡巡行志」「山州名跡志」)
 江戸時代、1754年、古に仏閣があった。この頃、すで荒廃し一堂を残すのみだったという。(「山城名跡巡行志」)
 1758年、修復の願書が出されている。
◆冷泉天皇・後冷泉天皇 小野郷の上村(小野上ノ町)、下村(小野下ノ町)でも、ほかの小野郷の村々と同様に仙洞御所料であり、農繁期に仙洞御所の田畑耕作を村役とし御所との関わりがあった。(「日下部大助文書」)
 平安時代の第63代・冷泉天皇(950-1011)、冷泉天皇陵と小野郷の関わりも指摘されている。
 冷泉天皇陵は「桜本寺乾原」(「帝王編年記」)の記述に因り、上村に御陵と伝えられる場所があった。下村には冷泉天皇火葬所と伝えられる処があった。近世(安土・桃山時代-江戸時代)、五輪塔が立ち、周囲を木柵で囲っていたという。いずれも両村で管理していた。(「宝暦八年四月十日桜本寺修復ノ願書」「桜本寺観世音御厨子写寛永五年十月」「桜本寺什物并冷泉帝陵考」、いずれも「日下部大助文書」。「京都御役所向大概覚書」)。
 ただ、桜本寺という同名寺号により小野郷の桜本寺と混同された伝承とみられている。実際の陵は冷泉天皇桜本陵(左京区鹿ヶ谷法然院町)とされている。
 平安時代の第70代・後冷泉天皇(1025-1068)の火葬地についても桜本寺とされ、かつて遺骨が埋葬され塔が立てられていたという伝承がある。(「山城名跡巡行志」「山州名跡志」)。ただ、実際の火葬所は北区紫野下御輿町にあり、陵は龍安寺の裏山、竜安寺朱山七陵(右京区龍安寺朱山)とされている。
◆仏像 本尊の「菩薩立像」(京都市指定有形文化財)は、12世紀(1101-1200)前半、都の仏師により造像されたとみられている。かつて十一面観音とされた。1990年の修理の際に、後世に改変が行われていることが分かり、後補の頭上面が省かれた。木造、寄木造、漆箔、彫眼、等身大(157cm)。


*普段は非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明板、『京都・山城寺院神社大事典』『京都市の地名』


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桜本寺 〒601-0133 京都市北区小野上ノ町    
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