水主神社 (京都府城陽市)
Mizushi-jinja Shrine
水主神社  水主神社
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境内全景、鎮守の森の周囲は水田に囲まれ、湖に浮かぶ島の様になっている。木津川は境内の左手に流れている。












割拝殿



割拝殿
 木津川の東岸、城陽市水主宮の水田に囲まれた地に鎮守の森がある。水主神社(みずし じんじゃ)は森の中に南面して祀られている。古くより雨乞の神として崇敬されてきた。
 祭神は多く、本社に天照御魂神(あまてるみたまのかみ)、天香語山命(あめのかごやまのみこと)、天村雲命(あめのむらくものみこと)、天忍男命(あめのおしおのみこと)、建額赤命(たけぬかかのみこと)、建筒草命(たけつつくさのみこと)、建田背命(たけたせのみこと)、建諸隅命(たけもろずみのみこと)、倭得玉彦命(やまとえたまひこのみこと)、山城大國魂命(やましろのおおくにたまのみこと)、合祀された大縫命(おおぬいのみこと)、小縫命(おぬいのみこと)。 末社・樺井月(かばいつき)神社に月読命(つきよみのみこと)、野神神社に天菩日命(あまのほひのみこと)、金刀比羅宮(ことひらぐう)に大物主命(おおものぬしのみこと)。稲荷神社に倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を祀る。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「綴喜郡 十四座 大三座 小十一座」の「樺井月神社」に比定されている。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、844年、山城国水主神が五位下を授かると記されている。(『続日本後記』同年条)
 仁寿・貞観年間(851-877)、四季祭相嘗祭が行われ、天照御魂神、山背大国魂命は祈雨大神の内に加えられる。加茂両社、松尾、稲荷、住吉大社とともに朝廷より新年祈雨の奉幣がある。(社伝)
 858年、「宣命雨師」とあり、貴船社とともに雨乞祈祷が行われる。夜に小雨があった。(『文徳実録』)
 859年、従四位下を授かる。(『三代実録』)。風雨に伴い、当社などで奉幣が行われる。(『類聚国史』)
 866年、雨乞祈祷について記されている。(『三代実録』)
 867年、従四位上を授かる。(『続日本後記』)
 927年、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』中「綴喜郡 十四座 大三座 小十一座」の「樺井月神社」とある。
 南北朝時代、1366年、年中行事歌合で祈雨として歌われ、雨乞の神として信仰されていたとみられる。(僧宗久)
 江戸時代、1672年、木津川氾濫後、樺井月神社(綴喜郡樺井、京田辺町大住)は水主神社に合祀される。
 1711年、賀茂社、別雷太神との関わりについて記されている。(『山州名跡誌』)
◆樺井月神社 樺井月神社(かばいづき/かばいつき じんじゃ)は式内社であり、平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「綴喜郡 十四座 大三座 小十一座」の「樺井月神社」に比定されている。4度、官幣祈雨祭が行われたという。
 祭神を月読命とし、かつて、現在地の西、木津川西岸の綴喜郡樺井(京田辺市大住<おおすみ>、現在の月讀神社境内)に祀られていたという。『古事記』の「苅羽井(かりばい)」に比定されている。木津川樺井の川渡の守護神として崇められた。延喜式に「泉河樺井渡瀬」、『古事記』安康記にも「苅羽井渡」とある。
 また、牛馬の守護神として朝廷より祈願奉幣を賜る。奈良時代、701年に神稲を賜る。
 845年5月、京畿に牛の感染症、牛疫が流行する。家畜を吸血する虻(あぶ)がウィルスを媒介した。綴喜、相楽両郡の多くの牛が感染し、死滅の危機に瀕した。虻虫の害は当社の祟りとされ、当社に奉幣祈願するとまもなく感染が止んだという。859年、風雨のために奉幣があり、従五位上に叙せられた。
 江戸時代、1672年、社は木津川の氾濫により被災し、木津川東岸の現在地に遷座したという。(『続日本後』、社伝)
◆水主氏・水主 水主神社には豪族・水主(みぬし)氏が関わったともいう。水主氏は現在地(山城国久世郡水主郷)を起源とし、水主直(みぬし の あたい、古代の尾張氏族)の子孫という。
 この地の大豪族・栗隈(くりくま)氏とも協力関係にあったとみられる。「水主」とは「水取(水部)」の略であり、水主氏は、栗隈大溝(おおうなで)により井堰の管理を司り、木津川より取水する水門管理に当ったという。祖神は天火明神だったという。また、「水主」を「主水(もひとり/もんどり)」と読ませ、取水の意味として、貴人の飲料水を管理した役所「主水司(もひとりのつかさ/もんどのつかさ)」に関わったともいう。
 水主氏が同じく関与したとされる周辺の延喜式比定の社に水度(みと)神社、荒見(あらみ)神社などがある。
 地名の水主(みずし)も、この水主氏に由来する。「みずぬし」「みぬし」が、「みずし」に転訛したという。中世には「御厨子(みずし)」とも書かれた。
◆建築 南面した「本殿」、そのほかの末社は、割拝殿奥の柵内にあり、神域内に立ち入ることはできない。
 「拝所」があり、本殿は流造、二間、二間半、檜皮葺。
 「割拝殿」は、入母屋造、8間半・2間、瓦葺。
◆年間行事 新年祭(歳旦祭)(1月1日)、樺井月神社・樺井月祭(牛馬攘疫祭、牛馬安全祈願祭)(2月20日)、衣縫大祭(お針の祭り)(4月29日)、例大祭(10月第一日曜日)、新嘗祭(新穀感謝祭)(11月中旬日曜日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 掲示板の由緒書、『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の地名』『京都の地名検証 2』


  関連・周辺荒見神社     関連・周辺水度神社      周辺       関連        

割拝殿

割拝殿、奥に鉄柵があり、本殿、末社は拝殿内から拝する形になる。

拝所、本殿、透垣


樺井月神社

野上神社

金刀比羅宮

稲荷神社

絵馬舎

手水

針乃碑、由緒書では衣縫(きぬぬい)神社に触れている。相殿神の大縫命(おおぬいのみこと)、小縫命(おぬいのみこと)が本殿に祀られている祭神であり、「天地ひらけ豊組野尊のご神託にして、天照大神の時より衣類の女神の仕業として世に備れり。左右に座する二柱の神達は、神代天香語山命(あまの かごやまのみこと)の御子・天村雲命(あめのむらくものみこと)より九世の孫にして、成務天皇の御宇、淡路国志賀の高穴穂の宮に仕え奉り、糸縫針の職業を主宰し給う。故に末代の今に至るまで、其職たる人達は此の大神を祖神として敬い奉り給う」という。

境内の森
水主神社 〒610-0118  京都府城陽市水主宮馬場30 
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