白蓮寺 (京都市山科区)
Byakuren-ji Temple
白蓮寺 白蓮寺 
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 白蓮寺(びゃくれんじ)は、平安時代の僧・空也ゆかりの寺という。
 時宗、本尊は阿弥陀如来を安置する。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、944年、空也上人が創建したという。その後、真言宗、天台宗に改められる。
 鎌倉時代、一遍(1239-1289)が時宗に改めたという。
 その後、浄土真宗に改宗する。
 江戸時代-近代初期、無住になる。
 近代、1890年、加納法順師住持の時、時宗に復した。かつては下京区東洞院通り下ル東塩小路七条下ル(向畑町)にあり、塩小路道場と呼ばれた。境内は180有余坪あったという。
 その後、衰える。一時、東本願寺の管理下に入る。
 1890年、時宗に復した。
 現代、1945年、太平洋戦争後に荒廃した。
 1972年/1973年、3世・杉浦敬善師の時、現在地に1000坪の境内地を得て移転、再興した。
◆空也 平安時代中期の浄土教の僧・空也(くうや/こうや、903-972)。詳細不明。こうや上人、弘也(こうや)、光勝、寺を持たず常に市井にあったことから、市聖 (いちのひじり)、阿弥陀聖。第60代・醍醐天皇の第2皇子、第54代・仁明天皇皇子・常康親王の子ともいう。幼少より在家の優婆塞(うばそく)として全国を遍歴した。919年、17歳で市中の遺骸を念仏を唱えながら埋葬した。924年、尾張・国分寺で出家し、沙弥空也と名乗る。播磨、奥州、四国で修行し、934年、奥羽にも布教した。938年以来/天慶年間(938-947)、京都で念仏を広める。乞食、布施を得て貧者・病人に施した。939年、空也堂を開く。948年、比叡山・天台座主延昌から受戒し、光勝の法名を得る。終生、沙弥名の空也を名乗った。950年、浄財を集めて、金色1丈の十一面観音像、6尺の梵天・帝釈・四天王の像を造立した。951年、都に流行していた悪疫退散のために、自ら十一面観音を刻み、車に乗せ市中を曳き廻した。病人に茶を授け、歓喜踊躍の念仏踊で病魔を鎮めた。病人は平癒したという。その典茶・皇服茶(おうぶくちゃ、王服茶)は、身分の隔てなく分け与えられた。その時の踊躍は、六斎念仏として今も伝わる。963年/応和年間(961-964)、13年かけて金泥『大般若経』 600巻の書写事業を完成させた。鴨川河原に宝塔/一寺(のちの西光寺、六波羅蜜寺)を建て盛大な供養会を行う。東山の西光寺(六波羅蜜寺)で没した。70歳。墓は全国に複数ある。
 空也念仏の祖。諸国を巡歴し南無阿弥陀仏の名号を唱えた。各地で橋を架け、道路、井戸(阿弥陀井)の整備、遺棄された骸を火葬し荼毘(だび)に伏すなどの社会事業も行った。空也の菩薩行は行基につながる。称名念仏により、既存の国家、権勢、知識層の仏教から庶民の仏教を唱えた。後の法然、親鸞の専修念仏に影響を与える。一遍は空也を崇敬した。
◆仏像 本堂に本尊・阿弥陀如来を安置する。脇に、空也上人像が安置されている。六体の小仏が口から出現している。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
年間行事は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。
❊参考文献・資料 『京都大事典』、「時宗白蓮寺の碑文」、ウェブサイト「校区の史跡-京都市立安朱小学校」、『日本の名僧』 、ウェブサイト「コトバンク」


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白蓮寺 〒607-8008 京都市山科区安朱東海道町16-2  075-591-9412
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