当麻寺 (當麻寺) (京都市山科区)
Taima-ji Temple
当麻寺 当麻寺 
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やすらぎ観音





 旧東海道(旧三条街道)に南面して当麻寺(たいまじ/とうまじ)は建つ。當麻寺とも記される。山号は弘誓山という。 
 浄土宗西山禅林寺派。本尊は阿弥陀如来坐像を安置する。
◆歴史年表 鎌倉時代、1234年、西山証空上人により創建されたという。
 江戸時代、1783年、焼失後に同年に再建された。 
 現代、2013年、当麻曼荼羅織1250年を記念し、当寺で奈良・當麻寺との初の合同法要が行われた。以後、両寺は、友好姉妹寺院として連携する。
◆証空 平安時代-鎌倉時代の僧・証空(しょうくう、1177-1247)。善恵房証空。鑑知国師、西山国師。加賀・源親季の子、久我通親の猶子。1190年、14歳で出家し、浄土宗開祖・法然の弟子になる。以後、法然臨終までの23年間を師事した。日野の願蓮に天台学、政春に台密を学ぶ。1212年、法然の没後、善峯寺中尾・蓮華寿院に入り、やがて道覚法親王に譲り、北尾往生院(三鈷寺)に移った。1227年、嘉祿の法難に際して流罪を免がれる。1229年、奈良・当麻寺の「観経曼陀羅」に感得した。1243年、第88代・後嵯峨天皇の勅により、歓喜心院を創建する。宮中で度々講じ円頓戒を授与した。白河・遣迎院で亡くなる。門弟により遺骸は西山三鈷寺の華台廟に葬られた。建立した主な寺院は、西山善峯寺北尾往生院、歓喜心院、浄橋寺、遣迎院などがある。浄土宗西山義の派祖。
◆仏像 ◈本堂安置の本尊「阿弥陀如来坐像」(府指定文化財)は、「山科大仏」とも呼ばれている。平安時代後半-鎌倉時代の作といわれる。像高は丈六(2.67m)あり、定印を結び、結跏趺坐する。丸く穏やかな表情、浅く平行に流れる衣文線にも定朝様が見られる。
 かつて、触ることのできる仏像とされ、膝の部分が摩耗して光沢を帯びている。坐像下には台車があり、移動できるようになっている。仏像の背後に仏の形をした扉があり、修復時に確認された。扉は、仏像を運び出す際に使われたとみられている。寄木造、漆箔、金箔の装飾が残る。
 ◈境内の「安らぎ観音」は、「美人観音」とも呼ばれている。1995年1月17日の、阪神淡路大震災犠牲者の冥福を祈って立てられた。寺では、被災者家族を迎えて援助を行った。
建築 当初は、阿弥陀堂(本堂)が建てられていた。本尊の阿弥陀如来坐像を安置した。その後、阿弥陀堂は増築され、庫裏なども新造された。
 堂宇は、近くを流れる安祥寺川の氾濫により、度々浸水被災している。その度に修復された。
◆当麻曼荼羅 ほぼ方形の「当麻曼荼羅(浄土寺曼陀羅)」は、観無量寿経に説かれた浄土変相図を描く。「観経曼荼羅」とも呼ばれている。製作年代は不明とされるが、室町時代末期作ともいう。
 阿弥陀と極楽浄土の世界を極彩色で描いたという。現在も鮮やかな色彩が残っている。中央に金色の阿弥陀如来坐像、周囲に観音菩薩、勢至観音菩薩などが集まる。背後の楼閣も極彩色で細密に描かれている。
 江戸時代、1719年、1813年に修復されている。縦3m、横2.25m。
 日本での当麻曼荼羅の起源は、奈良・當麻寺(真言宗)とされる。奈良時代、763年、伝説的な藤原家の郎女(いらつめ、若い女性)である中将姫(ちゅうじょうひめ、747-775)が織ったという「蓮糸曼荼羅」とされる。証空は、曼荼羅の再興に尽力し、以来、浄土宗にも流布した。
 当寺の曼荼羅は「韋提希夫人(いだいけぶにん)物語」を題材にする。韋提希夫人とは、古代インドのマガダ国王ビンビサーラの王妃になる。自らの子・アジャータシャトル(阿闍世) が父王を幽閉した際に、王に密かに食物を届けた。それが発覚し、自身も幽閉された。釈尊は彼女のために『観無量寿経』を説いた。
 

*普段は非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『日本地名大辞典 京都府 下』『事典 日本の名僧』『拝観の手引』『山科事典』『京都山科 東西南北』 、ウェブサイト「コトバンク」



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当麻寺 〒607-8408 京都市山科区御陵鳥ノ向町29  075-581-1946
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