車僧影堂 (車僧堂)・海正寺 (京都市右京区)
Kurumasoeido Temple
車僧影堂  車僧影堂
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道標「車僧影堂」


車僧影堂




鰐口

 太秦海正寺町(うずまさ かいしょうじちょう)の宅地内の畑地に、取り残されたように車僧影堂(くるまそうえいどう)という小堂が建つ。かつて「車僧寺」と呼ばれた。「車僧堂」「くるまんさん」とも呼ばれている。 
 かつてこの地には、地名に残るように、海正寺という寺院があり、その開山が車僧と呼ばれた僧・深山正虎だったという。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 鎌倉時代、臨済宗の僧・深山正虎がこの地、太秦南市川村に、海正寺を創建したという。現在地には開山塔が立てられたという。
 江戸時代、正徳-安永年間(1711-1781)、草庵になっていたという。
 1711年、「車僧寺」の記述がある。(『山城名勝志』)
 1780年、「車僧の塚」の記述がある。(『都名所図会』)
◆深山正虎
 鎌倉時代の臨済宗の僧・深山正虎(しんざん しょうこ、生没年不詳)。筑前筥崎(はこざき)に生まれた。筥崎・承天寺の直翁智侃(じきおう ちかん、1245-1322)のもとで出家した。直翁は後に東福寺10世になる。師没後、山城・太秦に海生寺、大和国吉野に宝泉寺を開く。壊れた車で街道を往来したため「車僧(くるまぞう)」、また、700年前のことをよく話したため「七百歳」とも呼ばれたという。 
◆木像
 御堂内に海正寺開山「深山正虎木像坐像」と位牌が安置されている。椅子に坐った像は、手に払子(ほっす)と数珠を持つ。かつては彩色が施されていたとみられる。像高1m。
 木牌面には「當寺開山深山和尚大禅師」、裏面に南北朝時代、「建武元年(1334年)甲戌五月五日」と墨書してあるという。室町時代初期の作とみられている。
◆海正寺 海正寺の詳細は不明。海生寺とも記された。太秦里市川村にあったという。開基は不明ともいう。本尊に観音を安置し、深山正虎が住していた。深山は当初、山階(山科)の山中に庵を結び、その後、この寺に移ったともいう。
 深山没後、その遺像が安置された。像は筑紫より携え来たものともいう。黄檗派の僧が像を守っていたともいう。(「雍州府志」)
◆謡曲 謡曲に「車僧」がある。車僧(深山正虎)が嵯峨野の雪景色を眺めていると、一人の山伏が車僧を魔道に誘惑しようと、禅問答を仕掛けてきた。車僧がこれをあしらうと、山伏は愛宕山の太郎坊と名乗り、黒雲に乗って去る。
 山伏は、天狗の姿に変わり再び現れ、技で深山と競った。深山は、車を払子一振りで自在に動かしてみせると、天狗はその法力に驚き退散する。
◆年間行事 車僧盆会(開帳・供養)(9月第1日曜)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都市の地名』『京都大知典』


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鬼瓦

「海生寺遺跡 開山堂」の石標

「南無阿弥…」の石標

 車僧影堂 〒616-8123 京都市右京区太秦海正寺町31  

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