広見寺・腹帯地蔵 (染殿地蔵) (京都市西京区)
Koken-ji Temple
広見寺・腹帯地蔵 広見寺・腹帯地蔵 
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本堂


九重塔








境内から見た天皇の杜古墳(第55代・文徳天皇御陵)
 御陵、国道9号線近くに、広(廣)見寺(こうけんじ)がある。寺が管理している御茶屋山麓の地蔵堂には、丈六の腹帯地蔵(染殿地蔵)が安置されている。第55代・文徳天皇女御・藤原明子(染殿后)ゆかりの地蔵尊ともいわれている。 
 浄土宗、極楽寺末寺。
◆歴史年表 詳細は不明。
 平安時代、第55代・文徳天皇女御・藤原明子 (染殿后、829-900)が惟仁親王(第56代・清和天皇)の誕生に際し地蔵尊に安産祈願したという。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、称念が創建したという。
 近代、1870年、準恵が中興する。
 現代、1985年、丈六の腹帯地蔵(染殿地蔵)は京都市指定有形文化財に指定された。
◆藤原明子 平安時代前期の第52代・文徳天皇の女御・藤原明子(ふじわら-の-あきらけいこ/めいし、829-900)。染殿后(そめどの-の-きさき)。父は人臣最初の摂政・藤原良房、母は第52代・嵯峨天皇の皇女・源潔姫(きよひめ)。通康親王(第55代・文徳天皇)の東宮の時に入内し、女御になった。850年、4男・惟仁親王(第56代・清和天皇)を産み、親王は立太子した。?年、賀茂の斎院・儀子内親王を産む。853年、従三位に叙せられる。858年、清和天皇の即位とともに皇太夫人、従一位に叙された。清和天皇と共に東宮に遷御した。864年、清和天皇から皇太后の号を贈られる。866年、常寧殿に遷る。882年、孫の第57代・陽成天皇の元服により、太皇太后の号を贈られた。73歳。
 文徳天皇以来、6代の天皇に50年にわたり後宮に仕えた。染殿后と呼ばれ、藤原氏の外戚としての地位確立に寄与した。父・良房は「年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし」と明子を桜花にたとえて詠んだ。(『古今集』)。伝承が残る。染殿后の美しさに迷った聖人は鬼と化し、后を悩ませた。(『今昔物語集』)。
 広見寺の近くに、天皇の杜古墳(第55代・文徳天皇御陵)がある。
◆地蔵
 地蔵堂内に安置されている本尊の地蔵尊(京都市の指定文化財)は、子授かり、安産、知恵授かりの信仰を集めている。丈六の木造地蔵菩薩坐像であり、腹帯地蔵、染殿地蔵とも呼ばれている。伝承として、平安時代の藤原明子が安産祈願したという。
 ただ、現在の地蔵尊は、後世、鎌倉時代(12世紀末-13世紀前半)作とみられている。また、平安時代(11世紀初)作、地蔵院(右京区花園)の木造地蔵菩薩坐像を模して造立されたとみられる。
 右手に錫状、左手に宝珠を掲げ、腹部のすそ(浅彫の下衣)があり、これが腹帯に見えることから子安地蔵といわれた。また、全体に朱色が塗られ、丈六としては唯一の朱色着色像といわれている。
 寄木造、彫眼、像高2.15m。光背、台座は後補。1985年、京都市指定有形文化財に指定された。
◆年間行事 地蔵尊の命日は毎月24日。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*地蔵堂は普段は非公開。広見寺が管理している。
*参考文献・資料 『新版 京のお地蔵さん』、『日本地名大辞典 26 京都府』、ウェブサイト「コトバンク」


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広(廣)見寺 〒615-8234 京都市西京区御陵御茶屋山  075-381-9836  
   地蔵堂  京都市西京区御陵塚ノ越町29 
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