福田寺 (京都市南区)  
Fukuden-ji Temple
福田寺 福田寺 
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門前脇の地蔵小祠


地蔵尊





本堂



本堂扁額



竜神堂


竜神堂


白龍弁財天社



白龍弁財天社



俊恵の歌碑、詞書「故郷の月をよめる」「ふる里の板井の清水み草いて月さへすまず成にけるかな」(『千載集』「雑上」巻16)、俊恵が長旅から帰郷すると寺が荒廃し、それを嘆いて詠んだという。
 中久世(なかくぜ)に福田寺(ふくでんじ)はある。平安時代末期の僧・歌人・俊恵(しゅんえ)と関わり深い。山号は迎錫山(こうしゃくざん)という。
 西山浄土宗。本尊は左に釈迦如来、右に地蔵菩薩二尊を安置する。 
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 奈良時代、718年、行基がこの地に居住し、霊夢に従い、この地の柏樹が光明を放ったことから、霊木より釈迦如来、地蔵菩薩を自ら刻んだという。精舎を建立し、迎錫山福田寺と号したことに始まるという。当初は、八町四方に七堂伽藍を有したという。また、末寺・祐楽寺の開祖になる。 (『福田寺縁起書』『山州名跡志』)
 平安時代末、僧・歌人の俊恵(しゅんえ、1113-1191?)が住持に就く。俊恵が主宰した歌の結社「歌林苑」は当初、当寺内に置かれたという。(寺伝)
行基 飛鳥時代-奈良時代の僧・行基(ぎょうき/ぎょうぎ、668/667-749)。百済系の渡来人・高志(こし)氏。河内国の生まれ。父は高志才智、母は蜂田古爾比売。681年/682年、出家、官大寺で法相宗などを学ぶ。691年、高宮寺で具足戒を受けた。畿内に道場、寺を建立し、溜池、溝・堀、架橋、困窮者の布施屋建設などの社会事業を行う。704年、生家を家原寺とし住した。717年、民衆煽動と僧尼令に反した寺外活動の咎で、詔により弾圧を受ける。731年、弾圧を解かれた。732年、河内国狭山下池の築造に関わる。734年、東大寺大仏建立の詔が発布、勧進の任を務めた。736年、インド出身の僧・菩提僊那一行来日に際し太宰府で迎えた。738年、朝廷より行基大徳の称号が授与される。740年以降、東大寺大仏建立に協力する。741年、聖武天皇と恭仁京郊外の泉橋院で会見した。743年、東大寺大仏造営の勧進になった。745年、朝廷より日本初の大僧正位を授けられる。菅原寺(喜光寺)で亡くなる。地図の行基図を作成したという。東大寺「四聖」の一人。 80/82歳。
◆俊恵 平安時代後期の僧・歌人・俊恵(しゅんえ/すんえ、1113-1191?)。通称は大夫公(たゆうのきみ)。父は東大寺僧・源俊頼、母は木工助・橘敦隆の娘。祖父・源経信、兄・伊勢守俊重、弟・叡山阿闍梨祐盛、妹・待賢門院新少将も歌人。子は叡山僧頼円。父に和歌を学ぶ。1129年、17歳で父と死別した。東大寺に入り俊恵法師と呼ばれる。1160年、清輔朝臣家歌合、1167年、経盛朝臣家歌合、1170年、住吉社歌合、1172年、広田社歌合、1179年、右大臣・兼実歌合に参加した。白川の自坊で歌の結社「歌林苑」を主宰し、月例会、臨時の歌合せ、歌会などを催した。藤原清輔、藤原教長、寂蓮、源頼政、道因、二条院讃岐、賀茂重保、登蓮法師、藤原俊成などとも交流し、平安末期歌壇で大きな存在になった。弟子・鴨長明の歌論書『無名抄』中に俊恵の歌論が記されている。
 家集に『林葉和歌集』、歌は千百首余あり、『詞花和歌集』以下の勅撰集、『千載集』に入集。小倉百人85番「よもすがら もの思ふころは 明けやらぬ 閨(ねや)のひまさへ つれなかりけり(『千載和歌集』恋二、765)。
◆仏像・木像 本堂の本尊は「釈迦如来像」、「地蔵菩薩像」の二尊になる。
 竜神堂に「摩耶夫人像」、「行基菩薩」、「弘法大師像」、「竜神像」を安置する。
 摩耶夫人像は、梁武帝自刻という。空海の入唐後帰国に際して請来した。当初は、摂津摩耶山・天上寺に安置される。後に、当寺に遷されたという。右手を上げ、袖口より釈迦牟尼が逆さになり半身を顕している。安産の信仰がある。
 竜神像(3尺。90cm)は、鬼の裸身像であり、両眼が飛び出し、両手を前に合わせ縄がかかる。竜宮の弟であり、村人に頼まれ水を自由にしたため叱られ縛られたという。1889年に盗難に遭い、1901年に御所御苑内での美術展出品のため発見され、並川靖之により鑑定され戻された。雨乞いの信仰を集めた。
◆歌林苑 歌林苑は俊恵が主宰した歌の結社であり、平安時代、保元年間(1156-1158)から治承年間(1177-1181)の20年ほどの間に催された。寺伝によれば当初は福田寺に置かれ、その後、白川の俊恵の自僧坊に移されたという。日本最初の歌人集団であり、身分にとらわれない民間人の集いであり、一時は和歌政所とも呼ばれた。
 歌友として、女性の藤原信成の娘、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)、二条院讃岐。男性は源三位頼政(げんさんみよりまさ)、二条院讃岐の父、藤原清輔、賀茂重保、藤原敦頼(道因)、登蓮(とうれん)、兄の源仲綱、弟子・鴨長明などが参加した。
◆不思議 不思議といわれる伝承がある。
 「本尊が二体」ある。別項。/「摩耶夫人像」がある。別項。/「竜神に雨乞」は、旱魃の際に雨乞いの祈祷を7日間してもらうと降雨があるという。/「雀が片足」は、寺の雀は片足で跳ぶとされた。/「行基の碑」がある。/「坂井の清水」は、かつて境内にあったという。井筒が板だったためこの名が付けられた。行基が閼伽衣井に用いるために掘ったともいう。竜神像が井戸より出たという。近くに公家・歌人・源経信(1016-1097、桂大納言)の別荘があり、孫・俊恵が生まれた。「古郷の板井の清水水草いて月さへすまずなりにけるかな」(『千載集』)、「跡見えてさすがに絶えぬふるさとの板井の清水影も変らず」。/「布目の古瓦」が出た。古い時代の瓦という。/「琴弾橋」がかつてあった。菅原道真が筑紫に向かう際に一服し、琴を弾いたとされ、琴の形をした橋だったという。大正期(1912-1926)に破却された。
◆正月15日 かつて下久世村では、正月15日に福田寺に詣で、法会で心経三巻の後に、牛王に米を包みこれを頒ち、その米で小豆粥を炊いた。添えられた樫の棒で牛王を包み、苗代の水口に挿すという慣わしが行われていたという。(『京都古習志』)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』、『日本の名僧』、『京の怪談と七不思議』、ウェブサイト「コトバンク」



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行基大菩薩塔


地蔵菩薩
福田寺 〒601-8205 京都市南区久世殿城町5番地  075-931-2887
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