

山門

山門

山門


本堂

本堂


観呪殿

先代住持の手作りという仏像 |
桂千代原町の住宅地の中に阿弥陀寺(あみだじ)は建つ。山号は吉祥山(きっしょうざん)という。
浄土宗西山深草派、本尊は阿弥陀如来。札所本尊は千手千眼観世音菩薩立像(千代原観音)。
京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)第25番札所。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
かつて、本山の浄土宗西山深草派・誓願寺の39代法主・空覚照恵の隠居寺として建立された。
その後、尼寺になる。
近代、荒廃する。
現代、1961年、住職・赤壁師入寺により再興される。
◆仏像 本堂内に本尊の阿弥陀如来像が安置されている。
札所本尊は平安時代前期の天台僧・恵心僧都(942-1017)作という千手千眼観世音菩薩立像(千代原観音)を安置する。かつて法華山寺に安置されていたという。その後、現在地の北東、桂小学校付近にあった観音寺に遷された。その廃寺にともない当寺に遷れた。雷・悪病除けの観音像と信仰されていた。室町時代作、像高2尺1寸5分(身丈1寸8尺)、寄木造。体内に焼け焦げた平安時代のものとみられる化仏頭部、手の一部が納められており、かつては現在のものより大きな千手観音菩薩像だったとみられている。
脇侍像は室町時代初期作の日光菩薩立像(像高6寸6分、身丈6寸)、月光菩薩立像(同)。
◆法華山寺 天台宗寺門派の法華山寺は西京区御陵峰ヶ堂の丘陵地にあった。西山法華山寺、峯の堂などとも呼ばれ、本尊は羅漢像を安置した。開山は三井寺の学僧・証月房慶政により、鎌倉時代の1219年から1221年頃に創建されたという。証月房慶政は、境内に最福寺(西京区松室)開山でもあった師・延朗の墓所立てている。
南北朝時代以降、丹波にいたる交通、軍事要衝地にあったことから、幕府は寺領を安堵し、寺運隆盛になる。寺は軍の陣所などに利用された。室町時代も幕府による安堵は続く。だが、応仁・文明の乱(1467-1477)で1469年に焼かれ、また、1527年の柳本賢治の兵乱で焼失、その後は再興されなかった。室町時代、跡地に峯城という城郭が築かれていたという。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』、『洛西三十三所観音霊場』、『京都市の地名』、阿弥陀寺略年案内チラシ
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