日體寺 (京都市東山区)
Nittai-ji Temple
日體寺 日體寺 
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 清水寺に至る清水道の坂に日體寺(にったいじ)はある。「清水の鎮宅妙見宮」と呼ばれている。山号は常照山という。
 日蓮宗、本尊は釈迦如来像。
 北辰妙見像は洛陽十二支妙見めぐりの6番、巳(南南東)を祀る。水火の災を除き、怨敵の難を退け、家を治めるものという。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 年代不詳、かつて、観音寺と称した。浄土宗だったという。
 江戸時代、1721年、当時の住職が常照院・日體上人に帰依し、日蓮宗に改めた。日體を開山とした。
 また、1732年、日忍が創建し、師・日體を開基にしたともいう。本圀寺に属したという。(『京都府地誌』)
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、洛陽十二支妙見めぐりが衰退した。
 現代、1986年、京都市内の日蓮宗寺院を中心にした「洛陽十二支妙見会」により洛陽十二支妙見めぐりが復活した。
◆北辰妙見尊 本堂に北辰妙見像(35cm)が祀られている。右手に剣を立て、左手に蛇を持ち、亀に跨る。
 像は、かつて祇園下の妙見宮に安置されていた。その後、近代、1885年、土地が地所取り払いになる。末吉町の元芸妓・藤井四十吉は、妙見尊を自宅に遷し門先に祀っていたという。
 1885年、四十吉が亡くなり日體寺に葬られた。その縁により、妙見像も境内に遷された。墓石に刻まれた辞世「君方に御恩の借も返しかね ながの旅路をわづか六文」。
◆田中訥言 江戸時代後期の画家・田中訥言(たなか-とつげん、1767-1823)。名は痴、字は虎頭、別号は大孝斎、痴翁、過不及子など。尾張(愛知県)/京都の生まれ。石田幽汀、京都の土佐光貞に学ぶ。法橋になる。後、平安-鎌倉時代の大和絵の復古を試みた。1790 年、宮廷の障壁画を描き、「伴大納言絵巻」、「年中行事絵巻」、平等院壁画などの模写、俵屋宗達、尾形光琳などの手法を継ぐ「四季草花図屏風」なども描いた。代表作「百花百草図屏風」。晩年、失明し自殺した。57歳。
 大和絵の古典を研究し、復古大和絵派の祖になる。門人に浮田一蕙、渡辺周渓。
 日體寺(東山区)に墓がある。
◆洛陽十二支妙見めぐり 洛陽十二支妙見めぐりは京都御所紫宸殿を中心に、十二支の方角にそれぞれ妙見宮を祀った。これらを順番に巡り、福寿開運などを祈願した。妙見菩薩は北極星、北斗七星を神格化し、宇宙万物の霊気を司る霊験あらたかな菩薩とされている。
 江戸時代に貴族から庶民にまで広く信仰される。近代、1868年神仏分離令後の廃仏毀釈により衰退した。近年、1986年、京都市内の日蓮宗寺院を中心にした「洛陽十二支妙見会」により干支めぐりが復活した。参拝の順番は、自分の干支からでもその年の干支からでもよいという。
◆墓 江戸時代後期の画家・田中訥言、末吉町の元芸妓・藤井四十吉の墓がある。


*事前要連絡のこと。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都市の地名』、『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』、『京の福神めぐり』 、ウェブサイト「コトバンク」



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日體寺 〒605-0862 京都市東山区清水4丁目151   075-561-1248
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