


「重要文化財 三尊佛 心光院」

門前脇の地蔵尊






寺の外観、右手奥に比叡山

|
岩倉の心光院(しんこう-いん)は、山号を紫雲山という。
浄土宗知恩院派の尼寺、浄土宗鎮西派。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
江戸時代、1645年、唯称房知空大徳により創建されたという。
1771年以降、尼寺になる。
◆唯称 江戸時代前期の僧・唯称(?-?)。詳細不明。唯称房知空大徳。1645年、心光院を開山した。
◆仏像 本堂に「阿弥陀如来坐像」(重文)、両脇侍坐像(重文)が安置されている。金銅仏の質感があるものの木造の三尊になる。
◈中尊の「阿弥陀如来坐像」(153/153.3cm)は、平安時代後期(12世紀後半)の作になる。廃寺になった塞耳庵(そくに-あん、左京区岩倉木野町)より遷されたという。
頬の豊かな満月相であり、来迎印を結ぶ。細い目、小ぶりの鼻・口をし、衣文はやや硬く美しく表現されている。定朝様の内、定朝離れの頃の作とみられる。反丈六、木造、寄木造、漆箔。
◈両脇侍の「観音菩薩跪坐(きざ)像」(107/107.6cm)、「勢至菩薩跪坐像」(107/107.3cm)は、室町時代の康知作という。右の観音菩薩は蓮台を捧げ持つ。左の勢至菩薩は合掌する。木造、寄木造、漆箔。光背は後補による。
やや前かがみの跪坐(正坐に近い坐り方で足のつま先を立て、膝頭とつま先で床に付く状態)になる。大和坐りとも呼ばれ少し膝を開く。これは、 衆生救済のために、いつでもすぐに立ち上がることができる姿勢を示しているという。大和坐りは、日本人の旧来の坐り方だった胡坐(あぐら)より、正坐に移行する過程とされる。三千院の往生極楽院の脇侍も同様の姿勢をとる。
◆庭園 狭い境内ながら、手入れの行き届いた四季の花が咲く。
*拝観謝絶
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『洛北岩倉誌』、『京都・山城寺院神社大事典』、『昭和京都名所図会 3 洛北』、『仏像を旅する 京都』
 |