田中神社 (京都市伏見区横大路) 
Tanaka-jinja Shrine
田中神社 田中神社 
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 桂川、鴨川の合流点の南東、旧京阪国道(府道13号線)に面して、田中神社(たなか じんじゃ)はある。下鳥羽村、横大路村の産土神として崇敬されてきた。 
 祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫尊(いなだひめのみこと)、その子・八柱御子神(やはしらのみこがみ)(太歳神、大将軍、太陰神、歳刑神、歳破神、歳殺神、黄幡神、豹尾神)。
 式内社。平安時代の『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)記載の「紀伊郡 八座 大三座 小五座」の「飛鳥田神社、一名柿本社」の論考社の一つとされている。
◆歴史年表 平安時代、治暦年間(1065-1069)、祇園感神院(八坂神社)より神霊を勧請したという。当初は現在地の北、鳥羽里田中にあり、牛頭天王田中神社と呼ばれた。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、洪水のために現在地に遷される。
  江戸時代、1816年、現在の本殿が建てられた。
 近代、1872年、北向虫八幡宮は境内に遷されている。
 現代、1996年、拝殿が再建されている。
◆伝承 安土・桃山時代、洪水により社殿が北より流され、現在地に漂着したという。この時、社殿は無傷であったことから、村人はその奇蹟を慶び、境内を整備し、社殿を再興し、盛大な祭祀を行ったという。
◆建築 本殿は、江戸時代、1816年に新造された。大型の一間社流造である。
◆藤原安子 平安時代の第62代・村上天皇中宮・藤原安子(927-964)。右大臣藤原師輔と正一位藤原盛子の娘。940年、14歳で東宮成明親王(村上天皇)と結婚。同年、女御、従三位となる。950年、第2皇子憲平親王(第64代・冷泉天皇)が生まれすぐに立太子に立てられる。民部卿藤原元方の娘祐姫が産んだ第1子広平親王は立太子を逸し、その後の遺恨となる。956年、従二位、958年、立后、中宮を称した。村上天皇との間に、第64代・円融天皇など3男4女を産む。選子内親王の出産後間も亡くなる。
◆北向虫八幡宮 境内に、北向虫八幡宮といわれる小社が祀られている。虫八幡宮は当初、現在地の北西、桂川あった津・草津湊(横大路村)に祀られていたという。近代、1872年に田中神社の境内に遷された。
 平安時代、950年に生まれた村上天皇第2皇子・憲平親王(950-1011、第64代・冷泉天皇)は、癇の虫がひどかったという。母・藤原安子は虫八幡宮に祈願したところ、たちどころに平癒したという。安子の父で権勢を誇っていた公卿・藤原師輔(909-960)は、以後、虫八幡宮が御所を守護するようにと社殿を北向きに建てたことから北向虫八幡宮と呼ばれるようになった。なお、天皇は皇太子時代より心の病を発している。立太子を逸し早逝した広平親王の「物の怪」によるともいわれた。北向虫八幡宮は、夜泣き、癇の虫封じの神として崇敬されている。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、春季例祭・春祭(4月10日)、御千度祭(5月1日)、大祓式(6月30日)、御千度祭(9月15日)、秋季例祭(秋祭・神幸祭(10月第2日曜日-7日間)、新嘗祭(11月23日)、月次祭(毎月1日、15日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明板


  関連・周辺     周辺     関連      

拝殿

本殿

雌雄の木彫りの馬

絵馬

北向虫八幡宮

北向虫八幡宮・第15代・応神天皇(おうじんてんのう)

七福神

末社の草薙社・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

雲水社・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)

天満宮社(右)・菅原道真。道祖社(左)・猿田彦命(さるたひこのみこと)

春日社(右)・健御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、 伊波比主命(いわいぬしのみこと)
天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比賣神(ひめのかみ)。
出雲社(左)・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)

手水舎

牛頭水(ごずすい)

クスノキの巨木
 田中神社 〒612-8291 京都市伏見区横大路天王後51   075-611-5613
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