魚市場遺跡「魚魂碑」 (京都市伏見区) 
Gyokonhi(Ruins of fish market)

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羽束師橋から南方向の桂川、奥左に八幡、右は山崎
 鴨川と桂川の合流するところに羽束師橋が架かる。橋の200m下流東岸の堤防に、「魚市場遺跡 魚魂碑(うおいちば いせき ぎょこんひ)」が立つ。
◆歴史年表 安土・桃山時代、文禄年間(1592-1596)、豊臣秀吉による伏見城築城に伴い、草津の湊(くさつのみなと、横大路)は、大坂からの淀川の水運を利用した物資の荷揚げ地になる。横大路には、多くの鮮魚、米麦問屋が建ち並んだ。
 江戸時代、幕府は公設の魚市場建設を命じる。淀川から三十石船が桂川を上り、草津の湊に発着した。船数は常に200隻-300隻に達したという。瀬戸内海で獲られた魚は、夜を徹して淀川を遡ってきた。市場で卸された鮮魚は「走り」と呼ばれ、鳥羽街道を経て京都、近畿各所に運ばれた。
 近代、1877年、東海道本線の敷設に伴い京都駅が開業した。神戸と京都間の線路全通により、草津の湊は次第に衰微する。やがて周辺は、農地に変わった。
 1919年、水産関係者により初代の石碑が建立される。
 1934年、室戸台風により石碑が損壊した。
 1944年、第二次世界大戦中、南海道地震(昭和東南海地震)により石碑が損壊したという。以後、そのまま放置されていた。
 現代、1986年、京都水産物商業協同組合など市場、水産関係者の寄付により石碑が再建された。
◆草津の湊 平安時代、平安京造営に際して、物資輸送のための鳥羽の作り道が、下鳥羽から羅城門まで通じていた。
 鴨川と桂川の合流点付近には、かつて草津の湊(くさつのみなと/くさつみなと)が開かれていた。また、桂川と宇治川の合流点には、淀津が開かれた。陸揚げされた物資はここより陸送された。 
 地名の鳥羽(とば)の語源とは、「はとば(湊)」に由来するという。やがて、「はとば」の「は」の音が消え、「とば」になったともいう。
 江戸時代、大坂から船便で運ばれてきた物資は、この付近で荷揚げされた。さらに陸路により鳥羽街道を経て京都へ運ばれた。この際に、車貸の牛車は、車道に敷かれた車石の上を通行していた。
◆年間行事 魚魂碑魚供養(4月第1日曜日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『車石-江戸時代の街道整備』

 
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 魚市場遺跡 魚魂碑  京都市伏見区横大路草津町41-2 
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