貴船神社 (京都市左京区)
Kifune-jinja Shrine

  

一の鳥居、1939年建立。叡山電鉄・鞍馬口駅から左へ少し坂を下りた地点にある。


一の鳥居

ヤマザクラ


梶取社、一の鳥居の左脇にある。祭神は宇賀魂命(うがのみたまのみこと)、古くは梶取大神(かじとりのおおかみ)を祀った。玉依姫命は浪花の津より黄船に乗り、淀川、鴨川を遡った。貴船口より貴船へ遡り、巧みに梶(舵)を操ったという。航海安全、人生の舵(梶)を巧みに操る人生進路を守る神、交通安全の信仰がある。 祭礼は11月15日。




梶取橋、一の鳥居の脇、梶取社の傍にあり、鞍馬川に架かる。金色の擬宝珠を備えた丹塗りの橋。1935年の豪雨により梶取社とともに橋も流された。1937年に復旧、1995年に架け替えられた。長さ26m、幅員4.7m。




梅宮橋、貴船川に架かる。参道は川沿いの一本道であり、坂道を登って行く。









末社・梅宮社、梅宮橋の近くの参道沿い右手にある。祭神は木花開耶姫命、安産の神、例祭は10月15日。


「葉ごもり実の2つみつ梅乃宮」の歌碑


蛍岩、参道右手、貴船川沿いにある大岩。平安時代の恋多い女流歌人で「浮かれ女」といわれた和泉式部(978-1034)は貴船神社に参詣した際に恋の成就を祈り、詞書「おとこのかれがれに成ける比(ころ) 貴布祢にまうでたるに 蛍の飛ぶをみて」。「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」とこの岩付近の情景を詠んだ。また、 「木船川 山もと影の夕ぐれに 玉ちる波は 蛍なりけり」もある。鎌倉時代前期の歌人・藤原為家は「貴布禰川岩こす浪のよるよるは玉散るばかり飛ぶ蛍かな」と詠んだ。
 石は貴船石といわれ、庭石、水石に使われた。

 

ヤマザクラ


蛇谷橋


烏帽子岩、貴船川の河原にある大岩。かつて宮中に仕えた大宮人が烏帽子を岩に置き、貴船川の水で身を清めたという。




貴船は、「気生根」「気生嶺」「木生根」「木生嶺」(きぶね)ともいわれ、樹木の神、また一帯の山林守護の地主神だったという。
 貴船神社(きふね じんじゃ)は、古く貴布禰社とも記された。鴨川の支流のひとつ貴船川に沿い、南から本社、結社(ゆいのやしろ、中宮)、奥宮(おくみや)と谷間に社殿が続いている。境内は4万1000坪ある。
 古来より水の神の崇敬を集め、平安時代は鴨川の水源を預かる治水神、「川上の神」とも呼ばれた。都の丑寅(北東)の鬼門の方角にあたり、邪気の侵入を防ぐ意味も有していた。
 祭神は晴雨を司る高龗神(たかおかみのかみ)。また、罔象女命(みずはのめのみこと)といい、いずれも水の神。また、貴布祢(きふねの)明神ともいう。
 奥宮祭神は、闇龗神(くらおかみのかみ)(船玉命)を祀る。闇龗神と高龗神は同一神、対の神ともいう。中宮(なかみや)・結社(ゆいのやしろ)の祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀る。
 全国500社の貴船神社の総本宮になる。旧官幣中社。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「愛宕郡二十一座大八座小十三座座」の「貴布禰神社」に比定されている。
 旧二十二社、名神祭二百八十五座の一つ、祈雨神祭八十五座の一つ。神仏霊場会第104番、京都24番。京都洛北・森と水の会。
 水神信仰、降雨雨乞い、止雨晴乞い、貯水名水、航海、大漁祈願、水難除け、火伏せ、消防、開運、心願成就、農漁業、酒造業、製菓業などよりの信仰がある。結社は縁結びの神として祀られる。奥宮は漁業関係者の信仰を集める。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細不明。
 かつて、この地には地主神が祀られていた。
 平安時代、794年、平安京遷都後、この地が鴨川水源地にあたるため、水神を祀るようになったという。
 818年、「貴布禰神」と記され大社に列せられ、同年に従五位下の神階を授けられた。文献初出となる。(「日本紀略」)。祈雨祈晴の奉幣初見となる。
 833年、祈雨祈晴が始まったともいう。
 873年、正四位下に叙される。(「三代実録」)
 歌人・和泉式部(978?-1034?)が参詣したという。
 1017年以前より、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社になる。(「日本紀略」)
 1046年、貴船川の洪水により社殿が流された。
 1055年、洪水被災により、遥拝所だった現在地に本社が遷された。元の社地には、奥宮が祀られたという。(「百錬抄」)
 1106年、上賀茂神社焼失に際し、神体が本社本殿に遷された。それに伴い、本社神体は今宮に遷されたという。
 1140年、最高位の正一位の神階を授けられた。(「二十二社註式」)
 平安時代末期、武将・源義経(1159-1189)が参詣したという。
 鎌倉時代、1228年、貴船川の氾濫により拝殿が流出した。(「二十二社註式」)
 南北朝時代、1372年、上賀茂神社との間に境界をめぐる争いが起こる。
 室町時代、1527年、焼失している。
 安土・桃山時代、1585年、上賀茂神社からの離脱運動が始まる。
 江戸時代、1631年より、賀茂社式年遷宮復活にともない、当社でも執り行われた。
 1664年、幕府は上賀茂神社の末社と裁定を下す。(「続史愚抄」)
 江戸時代末期、社殿が修復された。
 1864年、正遷宮が廃された。
 近代、1870年、勅祭社となる。
 1871年、上賀茂神社からの独立を果たした。官国幣社の制により、官幣中社に指定され貴船神社と改称した。
◆貴船神社 貴船神社は、都の水を司る神、水神を祀る。治水の神としても崇敬された。貴船の神は、川上の神とされ、鴨川の川上に祀られていることから河上社、河社とも呼ばれた。古くより「雨乞い」「止雨」の祈願が行われた。「丹貴二社」(『続日本後記』)と呼ばれ、奈良・平城京の吉野川沿いの丹生川上(にふかわかみ)神社とともに、貴船神社は、平安京遷都後、雨乞、止雨の神を祀り、その祈願社として知られた。
 平安時代、貴船神社には朝廷から奉幣使が遣わされ、雨止には白馬(後に赤馬)を、雨乞いには黒馬を奉納する祈雨神事が行われてきた。それが「板立馬(いたたてうま)」であり、現在の絵馬奉納の起源になったといわれている。
 『延喜式』神名帳には、朝廷により霊験あらたかな社として、「名神大社」に列せられていた。月次(宮中での6月、12月の祭礼)、新嘗(宮中での12月の新嘗祭)にも幣帛が捧げられていた。名神祭二百八十五座の一つ、祈雨神祭八十五座の一つに数えられた。818年、祈雨祈晴の奉幣初見となる。833年、祈雨祈晴が始まったともいう。
 奥宮上流には、「龍王の滝(雨乞いの滝)」があり、祈雨の際には賀茂県主による法を行っていたという。
 本殿の下に、「龍神のすむ龍穴(吹井)」があるともいう。「日本三大龍穴」(ほかに大和室生、備前)のひとつとされる。江戸時代、文久年間(1861-1864)の社殿修復の際に、大工がノミを落としたところ、一転天掻き曇り、そのノミが空高く吹き上げられたという伝承もある。また、この霊泉を目にした者は命を落とすともいわれた。
◆和泉式部 平安時代の歌人・和泉式部(いずみ しきぶ、978/974?-1014?)。父は越前守・大江雅致、母は越中守・平保衡の娘。美貌と歌才に恵まれ、第63代・冷泉天皇の皇后・昌子に女房として仕える。20歳頃、官人・橘道貞と結婚、999年、夫が和泉守となり、娘で歌人・小式部内侍を生む。夫の任国、父の官名により「和泉式部」と呼ばれた。冷泉天皇の第3皇子・弾正宮為尊(ためたか)親王の寵愛を受けた。1002年、為尊親王が亡くなる。24、25歳で、夫の心離れから別居し、親からも勘当された。1003年、為尊親王の同母弟・帥宮(そちのみや)敦道親王に寵愛される。その邸に迎えられ、正妃・北の方は屋敷を去る。敦道親王との間の子・永覚、1007年、敦道親王も相次いで喪う。寛弘末年(1008-1011)、一条天皇の中宮彰子に女房として出仕する。藤原道長の計らいにより、33歳頃、丹後の守・公家・藤原保昌と再婚した。丹波に移った後、1025年、娘・小式部内侍、1036年、夫も亡くなる。後、出家、専意と称した。東北院内の小御堂に住し、朝夕に本尊・阿弥陀如来を詣でたという。
 『拾遺集』に多数入集、敦道親王との恋を記した『和泉式部日記』、和歌『和泉式部集』などがある。中古三十六歌仙の一人。貴船神社参籠の際の歌、「物おもへば沢の蛍もわが身より あくがれいづる魂かとぞみる」。
◆伝承 創建の伝承では、神代の頃(古墳時代)、丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に、貴船山中の鏡岩に神霊が降臨したのが当社の始まりともいう。
 また、賀茂建角身命の娘、神武天皇の母である女神・玉依姫命(たまよりひめみこと、玉依比売命、玉衣日姫命)が、浪花の津から黄色い船(黄船)に乗って淀川を遡った。鴨川を上流に辿り、貴船の地に着き水神を祀ったことに始まるという。(「御鎮座縁起」)。この地には龍穴があり、その上に社殿が建てたともいう。現在、奥宮本殿の西に石積みの「船形石」が残されており、これはその時の黄船を人目に触れないように小石で覆ったものという。
◆貴船 貴船は、かつて「木船」「貴布祢」とも書かれた。この「きふね/きぶね」の由来は、「気」の意味の「気生根」「気生嶺」、あるいは「木生根」「木生嶺」「木生峯」とされる。樹木の神であるといい、また一帯の山林守護の地主神だったともいう。
摂社 白鬚社、牛一社(もとは仏国童子を祀り、その後、木花開耶姫命)、川尾社、鈴鹿社、祖霊社などがある。境外末社は、梶取社、梅宮社、白石社、林田社、私市社などがある。
◆縁結び 縁結びで知られる結社(ゆいのやしろ)は、本社と奥宮の間に位置している。参詣の順番は古くより、最初に本社、続いて奥宮、最後に中宮とされ、これを総称して「三社詣」といわれた。
 祭神・磐長姫命(いわながひめのみこと)にまつわる伝承がある。磐長姫命は、大山祇神(おおやまつみ)の娘であり、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉にあたる。姉妹は天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)に嫁ぐ。だが、磐長姫命は醜いために父の許に戻されたという。父・大山祇神はそれを怒り、天孫の寿命は短くなるだろうと告げた。以来、磐長姫命はこの地に永く鎮まった。縁結びの神として、人々には良縁を得させるために祀られたという。  
◆貴船の本地 室町時代末期に書き写されたお伽草子『貴船の本地』に説話がある。扇に描かれた美しい娘に恋をした中将が、鞍馬の毘沙門天の手引きにより娘と引きあわされる。だが、娘は父・鬼の大王に殺され、中将の伯母の娘に生まれ変る。鬼は節分の夜に二人を襲う。毘沙門の示現(霊言)で炒り豆を打ち、五節句を営んで鬼を追う。二人は幸せに暮らし、やがて娘は貴船の大明神に、中将はまろうど神(客神)になったという。
 節分、五節句の起源といわれ、本地垂迹、神仏習合の影響があるという。
◆呪詛 貴船神社は、平安時代より裏切った恋人への呪詛神としても知られた。呪詛神としては、須比賀津良(すひかつら、奥宮・吸葛社)、山尾、河尾(本宮・川尾社)、奥深と記されている。(『覚禅抄』)。
 また、山尾、川尾、奥深、吸葛、白石(貴船口と本宮の間、白石社)、白髭(白髭社)、白専女、黒尾などの名が挙がる。(『梁塵秘抄』)
◆鉄輪の鬼女 貴船の神が貴船山に降臨したのは、丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻といわれ、平安時代以来、旧暦12月(新暦1、2月)の丑の刻(午前2時頃)詣りで知られた。
 「長なる髪をば五つに分け、五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて、三の足には松を燃し、続松を拵へて、両方に火をつけて、口にくはへつつ、夜更け人定まりて後、大和大路へ走り出て…」。夫に愛想をつかされた嫉妬深い女房(橋姫)が、貴船神社に丑の刻詣りする。水神により教えられたように、宇治川で21日浸かり続けると鬼女と化し復讐を遂げた。(鎌倉時代後期の屋代本『平家物語』「剣之巻」)。
 室町時代の能楽「鉄輪(かなわ)」にも、裏切った男への深い恨みを抱く女が登場する。女は貴船神社の丑の刻詣に来る。神社の社人はそれを見抜き、女に赤い衣を着て、顔に丹を塗り、髪に鉄輪を戴き、三本の足に火を灯し、怒りの心を持てば鬼に化すだろうと告げた。女は帰ろうとするが、俄かに黒髪逆立ち、天候も荒れ始めた。舞台が変わり、一人の男が現れた。男は夢見が悪いというので、陰陽師・安倍清明を訪ねる。清明は、男が女の強い恨みを蒙っていると告げた。清明が祈ると鬼女が現れ、男の後妻の形代である鬘を杖で幾度も打った。鬼は、男の形代の烏帽子にも手をかけ杖を振り上げようとするが、清明の祈りによりその場を去る。
 平安時代以後、7日の丑の刻詣りが行われていたともいう。これは、御霊信仰、誤った呪詛であり、貴船神社に限らず行われていたともいう。奥宮の杉林にはいまもその痕跡があるともいう。
◆禁足地 本宮背後の貴船山中腹に、禁足地「鏡岩」がある。岩が重なった磐座であり中央に室があるという。ここは、社殿が建てられる以前の祭場だった。貴船神社の大神は、丑の年の丑の月の丑の刻に、この鏡岩に降臨したといわれている。大神は従者とともに天降ったという。その従者の子孫の一人が多弁なため、大神は怒り大和へ追放した。後に、従者は赦されて貴船に戻った際に、きまりが悪く石の傍に屈んだとして鏡石といわれたという。
 奥宮手前の貴船山中には小さな三段の滝、雨乞の滝ある。近代以前まで、ここで雨乞い神事が行われ、滝に酒を一升ずつ流し、神官が川に入り水を掛け合ったという。
◆庭園 1965年、齋館近くに石庭「天津磐境(あまついわのさか)の庭」が造られた。現代の作庭家・重森三玲(1896-1975)により、わずか2日で石組みされた。
 磐座、磐境を再現している。貴船川産の貴船石(水成岩)を用いて船の形に組まれている。ストーンサークルともいわれる。散逸していた貴船石保存の意図もあったという。
 中央付近の椿の木は帆柱を表し、神の依り代も表現する。賀茂建角身命の娘・玉依姫命が、浪花の津から「黄船」に乗り、淀川、鴨川と遡り、貴船の地に辿り着いた伝承を表した。
◆文化財 貴船石の「祈り」(20㎝)は、顔の部分が白く、目も入る天然石であり、全身は蓬色をしている。神主が祝詞をあげる様に似る。宮司・大爺恒夫が雨乞祭厳修の際に、貴船川上流、奥宮の清流で発見したものという。
◆絵馬 貴船神社は、絵馬発祥の地とされている。
 古くより都の水を司る神といわれ、「雨乞い」「雨止」の祈願が行われてきた。平安時代、818年、日照りの際に、朝廷より奉幣使が遣わされ、雨止には白馬(後に赤馬)を、雨乞いには黒馬を奉納する祈雨神事が行われていた。時に、高価な生きた神馬に代わり、馬の絵を描いた「板立馬(いたたてうま)」が奉納された。それが、現在の絵馬奉納の起源になったといわれている。
 現代の漫画家・南久美子(1951-)筆の絵馬が2点ある。
◆鞍馬寺 貴船神社は鞍馬寺とのゆかりもあると伝える。第50代・桓武天皇(在位781-806)の時、藤原伊勢人(いせひと)は、東寺を造る責任者に就く。私寺も創建しようとし、観音像の安置を願っていた。ある時、霊夢を見る。平安京のさらに北に深山があり、山は二つに分かれ、谷より水が流れ下っている。蓬莱山のようであり、麓にも川が流れ出している。一人の翁が現れ、自分は貴布禰の明神であるという。この地には霊験があり、北に絹笠山、前に松尾山、西に賀茂川が流れていると諭して立ち去った。
 夢から覚めた伊勢人は、長年乗っている白馬に鞍を載せ、この霊地を探すように命じて放した。馬は山上で北に向かって立っていた。萱(かや)の中に白檀の毘沙門天像が現れた。その夜、伊勢人の夢中に少年が現れ、観音とこの毘沙門天は一体のものであると告げた。夢から覚めた伊勢人は、その地に堂宇を建て、観音像ではなく毘沙門天像を安置した。これが鞍馬寺の始まりになったという。(『今昔物語集』)
◆上賀茂神社 貴船神社は、平安時代、1017年以前より、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社だった。 1106年、上賀茂神社焼失の際には一時期、貴船神社にご神体が遷された。ただ、祭祀権、社地を巡り、上賀茂神社との間に境界争い、1585年以来末社からの離脱の動きも続いた。江戸時代、1664年、訴訟は貴船神社が完敗した。近代、1871年、貴船神社は上賀茂神社より独立している。
文学 貴船神社を和泉式部が訪れたという。再婚した夫・藤原保昌が心離れた際に参詣した。その時の心情を詠んだという歌碑が貴船川沿いにある「蛍岩」(貴船石)の傍らに立てられている。「男に忘られて侍りける頃、貴船にまゐりて、御手洗川に蛍の飛び侍りけるを見てよめる」、「もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂(たま)かとぞ見る」。
 この歌には貴船明神の返歌があった。「御返し」、「奥山に たぎりて落つる 滝つ瀬の たまちる許(ばかり) ものな思いひそ」。(『後拾遺和歌集』)
 和泉式部の説話に次のようなものがある。保昌の愛を失った式部が貴船神社に詣で、祭りを執り行わせた。年取った巫女は周りに赤い幣をめぐらせ、鼓を打ち、前を掻あげて叩き三度回った。式部にも同じことをするように告げた。式部は恥ずかしがり、拒否する和歌を詠んだ。この様子を物陰に隠れて見ていた保昌は、式部をいじらしく思い、家に連れて帰った。二人の愛は戻り、より深いものになった。(『沙石集』)。以来、貴船神社は愛の神、男女和合の崇敬を集めた。
 中世の御伽草子『貴船の本地(きぶねのほんじ)』は、鞍馬、貴船が舞台になっている。平安時代、寛平法皇(第59代・宇多天皇)の時(在位887-897)、都の中将・定平は、扇絵の女房に恋した。鞍馬山僧正に、鬼国(きこひく)の大王の娘・乙姫(おとひめ)がこれに勝ると教えられる。定平は、鞍馬・毘沙門天の示現を得て姫と出会い、鬼国へ向かう。鬼の大王は中将を差すように迫り、姫が身代りになり餌食になる。中将は難を逃れ帰る。その後、中将の叔母が乙姫の転生の女児を産む。その左手には、姫の形見の帯の切れ端があり、中将は契を結ぶ。鬼の大王は怒り、節分の夜に2人を襲うが、宮中の追儺(ついな)の行事により退けた。後、姫は貴船大明神になり、中将は客人神(まろうどがみ)となり、恋の守護神になったという。
◆植物 奥宮社殿の東北部にあるカツラ(京都市指定天然記念物)は、樹高39.0m、胸高幹周5.56m、樹冠の広がりは南北方向20m、東西方向16mある。
 カツラは拝殿近く、中宮結社にも神木としてある。アサダ、鳥居脇のケヤキ、連理のスギ・イロハモミジ、相生スギ、奥宮にトチノキがある。 
 周囲の山林にも、スギ、トチノキ、カツラ、ツガ、モミなどの大木が見られる。1995年に一帯の森は「水源の森百選」に選ばれた。
 かつて多く見られたキンポウゲ科の「貴船菊(秋明菊)」(花期は9月中旬-10月中旬)、1905年に発見されたタデ科の「貴船大菊」、「雄宝香(おたからこう)」、紅葉の名所でもある。
◆生物 貴船川周辺には豊かな自然が残されている。川にはカジカガエル、モリアオガエル、アユ、アマゴ、ホタルが生息する。ジュラ紀の遺存種というムカシトンボ、1918年に日本で初めて発見されたスギタニルリシジミ。1939年に鞍馬山で発見されたヒサマツミドリシジミなどが確認されている。
 貴船川では、6月中-下旬から7月初旬にかけてホタルを見ることができる。ゲンジボタル、ヘイケボタル、オバボタル、ヒメボタル、光らないカタアカホタルモドキなど7、8種が生息するという。ただ、近年、個体数が減っているという。
◆年間行事 若水神事・歳旦祭(破魔矢「水蓬莱」の授与、20時閉門)(1月1日)、初詣(6時開門、20時閉門)(1月2日-3日)、若宮祭(1月7日)、初辰祭(1月最初の辰の日)、御粥祭(1月15日)、節分祭(桃の枝による弓矢を放って悪鬼を祓う。)(2月3日)、雨乞祭(雨乞滝で神歌を唱え、降雨の適宜を祈願する。)(3月9日)、祈年祭(3月17日)、春季御更衣祭(4月1日)、土解祭(4月3日)、夏越祓(6月25日-30日)、例祭(貴船祭、イタドリ祭り)(御輿御渡)(6月1日)、大祓式(貴船川に人形を流す)(6月30日)、水まつり・七夕祭(雨乞い神事、江戸時代末期に絶えていたが1963年に復活した。献茶式、生間流の式庖丁、舞楽が奉納される)(7月7日)、秋季更衣祭(11月1日)、御火焚祭(11月7日)、新嘗祭(11月23日)、天長祭(12月23日)、師走の大祓式・除夜祭(22時に開門)(12月31日)。



*年間行事は中止、日時変更の場合があります。 
*南から北へ参拝の順路に通りに紹介してます。叡山電鉄・鞍馬口駅から本宮にいたる参道の一部には、人家がない山道があります。駅から本宮までは徒歩30分ほど。なお、古くよりの慣習として、参拝順番は、本宮から奥宮、最後に結社とされています。
*参考文献 『京の古代社寺 京都の式内社と古代寺院』『貴船神社の四季』『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『京都府の歴史散歩 中』『洛北探訪 京郊の自然と文化』『京都・美のこころ』『大学的京都ガイド こだわりの歩き方』『重森三玲-永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』『重森三玲 モダン枯山水』『重森三玲 庭園の全貌』『おんなの史跡を歩く』『京を彩った女たち』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『総合ガイド1 鞍馬山/貴船渓谷』『京都 神社と寺院の森』『京をわたる 橋がつなぐ人と暮らし』『京都ご利益徹底ガイド』『京都のご利益手帖』『京のしあわせめぐり55』『京都歩きの愉しみ』『週刊 神社紀行 39 貴船神社』『週刊 京都を歩く 45 貴船・雲ヶ畑』


  鞍馬寺             貴船    上賀茂神社      橋姫神社(宇治市)      鉄輪社、鉄輪の井戸      閑臥庵(曙寺)        

貴船川に架かる奥ノ院橋、ここより山を越えて鞍馬寺へ向かうことができる。

末社・白石(しらいし)社、蛇谷橋の貴船川対岸、石積みの上にある。祭神は下照姫命(しもてるひめのみこと)。歌の祖神、婦人病にも効験あるという。例祭は10月15日。

白石社

二の鳥居1989年に再建された。

ご神木の樹齢700年の大杉、二の鳥居の左傍にある。

末社・白髭社、二の鳥居の右傍にある。祭神は猿田彦命(さるだひこのみこと)。祭礼日は4月15日、天孫降臨の際に道案内をした神。延命長寿の神。


南参道、春日灯籠

ハナカイドウ





南門

南門

ご神木のカツラ、南門傍に立つ。樹齢400年、樹高30m。
気生嶺・気生根(きぶね、きふね)とは、気の生み出す根源の場所を意味し、体内の気が萎える気枯れを、神気に触れることにより再生させることができるという。







石庭「天津磐境の庭」は現代の作庭家・重森三玲により1965年にわずか2日で造られた。磐座、磐境の再現を、貴船川で産した貴船石(水成岩)を用いて船の形に組まれている。散逸していた貴船石の保存の意図もあったという。奥に見える椿の木は帆柱を表し、神の依り代も表している。
 賀茂建角身命の娘・女神玉依姫命(たまよりひめみこと)が、浪花の津から「黄船」に乗って淀川、鴨川と遡り、貴船の地に辿り着いた伝承を表現している。



手水舎

手水舎


齋館

本殿、背後(北)から。建立年は不明。一間社流造、桧皮葺、江戸時代、1863年までに36回ほど造替されたという。1922年にも修復された。

本宮、拝殿、江戸時代、文久年間(1861-1864)建立。平安時代、1055年に奥宮より現在地に遷されたという。本殿はこの背後になる。

本宮、拝殿

本宮、拝殿のフタバアオイの紋


ヤマザクラ

本宮、拝殿





本宮

本宮

「水占(みずうら)みくじ」、齋庭(ゆにわ)と呼ばれる遣水に、山から御神水が引かれている。水面におみくじを浮かべると文字がゆっくりと浮かび上がる。

御神水は貴船山より湧き出しており、涸れたことがないという。水は弱アルカリ性という。


板立馬(願掛け馬)、白馬と黒馬の神馬像。当社が絵馬の起源とされている。

本宮

絵馬

絵馬

龍船閣

龍船閣、扁額

龍船閣


龍船閣


龍船閣



龍船閣、懸崖造になっている。

末社・祖霊社 祭神は社人、氏子、崇敬者の祖先の御霊(みたま)を祀る。例祭は9月26日。

末社・牛一(ぎゅういち)社、木花開耶姫命、かつては牛鬼ともいう。牛鬼は、貴船明神が丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に降臨した際に、御伴した神。丑の刻参り(丑の刻詣)が知られている。ただ、本来は、あらゆる心願成就に霊験があることを意味しており、単なる呪詛にとどまるものではないという。

末社・川尾(かわお)社、祭神は罔象女命(みずはのめのみこと)、かつては、思い川にあり、川水を司る神だった。その後、鈴鹿谷の下にあり、川尾社と呼ばれるようになる。病気平癒の神。例祭は2月15日。

末社・鈴鹿(すずか)社、祭神は大比古命(おおひこのみこと)、かつては皇大神宮を祀る。本社裏手の鈴鹿谷にあり、伊勢神宮の大神を祀った。例祭は3月15日。

権殿(ごんでん)

権殿、拝殿脇より。

鈴鹿谷の鈴鹿川に架かる鈴鹿橋

鈴鹿橋

鈴鹿川

洞のある巨木

貴船川、「五月雨は 岩波洗ふ 貴船川 河社とは 是にぞありける」、平安時代後期の歌人・藤原俊成。

周辺の山のヤマザクラ
奥 宮


三の鳥居、忌刺榊(いみざしさかき)は氏子区域の境界に挿し立てる。

「思ひ川」の石碑

思い川に架かる思い川橋
思ひ川は、かつて貴船神社本宮が奥宮にあった頃、御物忌(おものいみ)川と呼ばれた。参拝者はこの川で禊(みそぎ)をして身を清めていた。和泉式部も参詣の折りに恋を祈ったとされ、「思ひ川」に転訛したともいう。

思い川、かつては禊の川であり、物忌みの川だった。「思ひ川 渡れば またも花の雨」高浜虚子。

思い川

貴船川、奥に見えるのは神奈備山?

つつみヶ岩(鼓岩)、貴船石特有の紫色で、古代の火山灰堆積の模様を表した代表的な巨岩。石灰岩。重さは約43t、高さ4.5m、周囲9m。


参道の杉並木

参道、サクラ

ヤマザクラ

山水の手水

貴船川沿いに奥宮に向かう参道がある。樹齢250-300年、700-1000年という杉の巨木が植えられている。付近を「老い杉並木」ともいう。

神門

神門

神門

神門

末社・日吉社、祭神は大物主命(おおものぬし)、かつては大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀った。山の神で貴船山を守護する。例祭は7月15日。

ご神木の連理(れんり)の木、スギとイロハモミジ。1924年、第123代・大正天皇皇后・貞明皇后(1884-1951)が参拝の際にこの木を称賛したという。連理とは、1本の木の枝が他の木の枝と連なり、互いに木目が通じ合っていることをいう。「連理の契り」とは夫婦・男女の間の深い契りを意味している。この木は、杉と楓が一体になっており、夫婦、男女和合の意味があるとされている。

末社・吸葛(すいかずら)社、祭神は味すき高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)、百太夫ともいう。大国主命の子、鴨大明神ともいう。二雨の神。御百太夫ともいう。例祭は8月15日。

末社・鈴市(すずいち)社、祭神は媛踏鞴五十鈴媛命(ひめたたらいまずひめのみこと)、事代主命の女(むすめ)、母は玉櫛姫命、神武天皇皇后。例祭は9月15日。

奥宮拝殿


ツバキ

ツバキ

ツバキ




奥宮本殿、祭神は高龗神(闇龗神)を祀る。飛鳥時代、655年に社殿を作り替えたともいわれ、それ以前から存在したともみられている。
 現在の建物は江戸時代、1863年に建てられた一間社流造。本殿下には竜穴(龍穴)とされる石積み穴があるという。奥の宮、扁額は鉄斎による。
 平安時代の陰陽師・安倍晴明は、第64代・円融天皇の命により、鎮宅霊符神の尊像を造らせ、貴船神社奥の院に、御所の守護神として祀らせたという。
 江戸時代、正保年間(1644-1648)、後水尾上皇(第108代)は、夢告により、鎮宅霊符神を、貴船・奥の院より閑臥庵(北区鞍馬口通寺町西入ル)に勧請したという。

本殿下には竜神の住む竜穴があるという。



奥宮本殿の絵馬


ツバキ

奥宮権地(ごんち)、遷宮の際などに一時的に遷座する地。

奥宮、船形石(ふながたいわ)、玉依姫命が乗ってきた黄船を人目を忌んで石で隠したという。航海安全の信仰がある。貴船祭では、子供が学業進達、無病息災を祈願する。
中 宮


境外末社、中宮(結社)、平安時代以来、縁結び、子宝、就職、入学祈願の神で知られている。本社・奥宮の参拝後に中宮に参る。
 中宮(なかみや)・結社(ゆいのやしろ)の祭神・磐長姫命(いわながひめのみこと)は、貴船神社では縁結びの神として祀られている。
 初代・神武天皇の曾祖父・瓊々杵尊(ににぎのみこと)は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と結婚する際に、木花開耶姫命の父・大山祗神(おおやまつみのみこと)は、姉・磐長姫命もともに勧めた。だが、瓊々杵尊は木花開耶姫命だけを望んだ。磐長姫命は大いに恥じ、「吾ここに留まりて人々に良縁を授けよう」といい鎮座したという。
 古くより、縁結びの神、恋を祈る神の信仰を集めた。平安時代の歌人・和泉式部も夫の不貞に苦しみ祈願し、よりを戻した。昔はススキなどの細い草を、いまは結び文を神前に結んで祈願する。男女の縁のみならず、就職、進学の縁も結ぶという。なお、古くよりの慣習として、参拝順番は、本宮から奥宮、最後に結社とされている。
 天孫降臨にまつわる神話では、日向国に降臨した瓊瓊杵尊は、美しい姉・木花開耶姫命とのみ婚姻した。そのため、天津神の御子の命は木の花のように儚くなったという。もしも、姉妹と契りを結び、姉・磐長姫命を妻に娶っておれば、生まれる天津神の御子の命は、岩のように永遠となり繁栄しただろうという。


中宮(結社)

中宮(結社)

中宮(結社)

中宮(結社)、本殿

中宮(結社)、本殿

中宮(結社)の掛所。絵馬と薄緑色した結び文、絵馬には和泉式部と飛び交う蛍が描かれている。結び文に願い事を書いて祈願する。

中宮(結社)天の磐船、1996年に京都の作庭家・久保篤三(?-2006)によって奉納された船形の巨石。磐長姫命(いわながひめのみこと)の御料船に因み、貴船山の自然石で組まれている。長さ3.3m、幅1m、重さは6t。

中宮(結社)、和泉式部歌碑、1994年建立。
「もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂かとぞ見る」
恋しくて思いつめ、沢を飛ぶ螢の光りが、まるであの人を求め、私の体からさまよい出た魂のように見える。詞書は「男に忘られて侍りけるころ、貴布禰に参りて、みたらし川にほたるのとび侍りけるを見てよめる」。
 平安時代中期、多くの浮名を流した歌人・和泉式部は、再婚した夫・藤原保昌の心が離れた折に、貴船神社詣により寄りを戻したともいう。
 この歌には貴船明神の返歌があったという。「奥山にたぎりて落つる瀧の瀬の 玉ちるばかりものな思ひそ」。しぶきをあげて飛び散る奥山の滝の水玉のように、魂がぬけ出て飛び散り消えてゆくほど、そんなに深く考えなさるな。

中宮(結社)、「貴船より 奥に人住む 葛の花」、松尾いはほ(巌)(1882-1963)、京都生れの近現代の俳人・京大内科教授、高浜虚子に師事。


中宮(結社)、ご神木のカツラ、樹齢400年という。幾重にも「気(木)」を伸ばす「ひこばえ」により神木とされている。カツラの葉はハートの形をしている。

御神木の相生の杉、同じ根から生えた二本の杉で、樹齢は1000年という。相老を表すとされ夫婦杉ともいう。

末社・二ッ社、相生の杉の傍にある。右が私市(きさいち)社、祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、貴船明神の荒御魂(あらみたま)を祀る。左が林田(はやしだ)社で祭神は少名彦命(すくなひこのみこと)。例祭は6月15日、医薬・酒造の神。

貴船川、結社前の淵は、鼓ヶ淵と呼ばれている。水音が鼓を打つ音に似ているからという。
祭 礼

雨乞祭(3月9日)、近代以前は雨乞いの滝で行われていた。お神酒と塩の御神水が、榊の枝によって撒かれる。この時、太鼓と鈴が鳴り、神職は「雨たもれ 雨たもれ 雲にかかれ 鳴神じゃ」と唱える。

雨乞祭

【参照】祇園祭の保昌山、以前は「花盗人山」と呼ばれていた。丹後守・平井保昌と和泉式部の恋物語に取材する。藤原大納言元方の孫で、武勇、和歌に秀でた保昌は、和泉式部から御所紫宸殿前の紅梅を手折ってほしいと頼まれる。保昌は、紅梅を持ち帰り恋を実らせた。 

保昌山
貴船神社 グーグルマッブ・ストリートビュー
map 貴船神社 〒603-8021 京都市左京区鞍馬貴船町180  075-741-2016  9:00-16:30(開門9:00-20:00)

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