墨染寺 (京都市伏見区)
Bokusen-ji Temple
墨染寺 墨染寺
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本堂


本堂扁額「桜寺」



本堂扁額「鬼子母神」


庫裏
 深草墨染町、琵琶湖疏水の西にある墨染寺(ぼくせんじ)は、「桜寺」「墨染桜寺」「すみぞめ寺」とも呼ばれる。境内に咲く墨染桜(すみぞめざくら)で知られ寺号の由来になった。山号は深草山という。 
 日蓮宗。本尊は十界大曼荼羅。
歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、874年、第56代・清和天皇(850-881)の勅願により、摂政・藤原良房(804-872)が建立した元号寺院の貞観寺(じょうかんじ)が前身という。良房の娘・明子の産んだ惟仁親王(清和天皇)の加護のために建立したという。
 その後、衰微する。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1591)、16世紀(1501-1600)後半とも、豊臣秀吉は寺領千石の土地寄進を行い、大僧都・日秀上人により建立された。秀吉の姉・瑞龍尼(日秀尼)が法華経に帰依したのを契機とし、寺号も法華本宗・墨染桜寺(ぼくせんおうじ)と改めたという。当時は御成間御殿、7つの子院・塔頭を有した。秀吉は寺を度々訪れている。
 江戸時代、徳川の時代になり、塔頭・威徳院(いとくいん)に統合縮小し、現在地へ移転になったという。(『山州名跡誌』)。その後、荒廃する。
 年代不詳、宇治・直行寺、梅津・本福寺に住した、第37世・学妙上人により復興されたという。
◆日秀 安土・桃山時代-江戸時代の日蓮宗の僧・日秀(生没年不詳)。増長院日秀上人。身延山18世・日賢の弟子。日秀尼と親交あり、天正年間(1573-1591)、墨染桜寺を再興する。1604年、大坂・成正寺(じょうしょうじ)の開山。
◆日秀尼 安土・桃山時代-江戸時代の尼僧・日秀尼(にっしゅうに、1533-1625)。尾張に生まれた。豊臣秀吉の姉で俗名は智(とも)という。武将・三好吉房(後、犬山城主)に嫁ぎ、豊臣秀次ら3人の子を産む。二男・秀勝は朝鮮の唐島で戦死した。三男・秀保は十津川温泉で事故死した。1595年、長男・秀次が秀吉に切腹させられる。夫は讃岐に配流された。(秀次事件)。聚楽第を出て嵯峨野に向かう。秀次の首は庵の傍らに埋葬し供養した。本圀寺の16世・日禎(にちじょう)により得度、1598年、後陽成天皇より瑞龍院の院号を受け、瑞龍院妙慧日秀と名乗った。嵯峨・善正寺、村雲に瑞竜寺の二寺を開く。  
藤原基経 平安時代前期の公卿・藤原基経(ふじわら の もとつね、836-891)。堀川太政大臣。父・長良の3男、母は藤原総継の娘・乙春。叔父・藤原良房の養子になり、その後継者になった。参議、中納言、右大臣、第57代・陽成天皇の摂政、太政大臣、第58代・光孝天皇の事実上の人臣(臣下)最初の関白になる。887年、第59代・宇多天皇即位の際に、基経を関白に任じた勅書に対して不満を持つ。橘広相の作成文に「阿衡の任」とあり、古代中国の単なる名誉職の官名だったことによる。基経は政務を怠業、天皇を譲歩させ勅書を改めた。(「阿衡(あこう)事件」)。
◆上野岑雄 平安時代前期の上野岑雄(かみつけ の みねお、生没年不詳)。詳細不明。峰雄、上野岑朝臣(かんつけのみねおあそん)。承和年間(834-848)の人ともいう。『古今集』に入集。
◆文化財 長谷川等伯筆「太閤秀吉画像」がある。秀吉の自賛がある。「あはれてふ色香をさとる桜木の 花の面影墨染にして」。細川幽斎が詠じた。
◆墨染桜 墨染桜は、白い花弁が小さい単弁であり、茎、葉の部分が青く、墨染色(薄墨、喪の色、鈍色<濃い灰色>)のように見える。死者との関係の深さにより、花弁の色合いに濃淡が生まれたともいう。桜は貞観寺の旧地にあったという。
 墨染桜、墨染の地名も次の伝承に起因するという。
 平安時代、891年1月13日、堀河の公卿・太政大臣・藤原基経は亡くなり、この地に葬られた。上野岑雄(かみつけのみねお)は、友の死を悼み、桜に向かい次の哀傷歌を詠んだという。詞書「堀河の太政大臣、身まかりける時に、深草の山にをさめてけるのちによみける」、「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(『古今和歌集』)。以来、「心なき桜」も感応し、墨染色(薄墨色)の花弁を付けるようになったという。なお、『源氏物語』第19帖「薄雲」巻では、光源氏が藤壺中宮を喪い、二条院の前の桜を見て花の宴のことなどを思い出し、「今年ばかりは」と引用している。
 また、第54代・仁明天皇(810-850)の死を悲しみ、出家した良岑宗貞(よしみね の むねさだね、遍昭、816-890)が、仁明陵のある深草の山桜を詠んだともいう。(『雍州府志』)
 安土・桃山時代、豊臣秀吉(1536-1598)は、この話を聞き感銘を受けて、姉・瑞竜尼が帰依した日秀に土地を寄進し、寺を再興させたという。
 境内には現在、3代目の墨染桜の若木と、ソメイヨシノが植えられている。
◆墨染井 本堂前にある御手洗鉢「墨染井」は、江戸時代、1768年に歌舞伎役者・2代目中村歌右衛門の寄進による。 
◆墨染遊郭 門前には旧東海道が通じている。江戸時代、元禄年間(1688-1704)、この付近に墨染遊郭があり賑わっていた。ほかに、橦木町(夷町)、柳町(泥町)、稲荷中之町、中書島があった。
 江戸時代、1684年の井原西鶴『好色一代男』では、11歳の世之介が、東福寺、伏見街道を経て、墨染寺の名水を口に含んだ。夕刻、初めて遊里・橦木町に出かける。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『新版 京・伏見 歴史の旅』『京都府の歴史散歩 中』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 下』『京都の地名検証 3』


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屋根瓦には「桜」の文字が彫られている。


鬼子母大菩薩を祀る。

日蓮像

墨染井と刻まれている。江戸時代、1768年に2代目中村歌右衛門寄進の手洗鉢



三代目の墨染桜

墨染桜の花弁

【参照】近くを流れる琵琶湖疏水
墨染寺グーグルマッブ・ストリートビュー
 墨染寺 〒612-0051 京都市伏見区墨染町741   075-642-2675
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