梅辻家 (上賀茂神社社家) (京都市北区) 
Umetsuji Family House

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入母屋造の式台


居室部の内玄関、鳥居形をしている。



 梅辻家(うめつじけ)は、代々上賀茂神社に仕えた神主筋の「賀茂七家」の一つだった。現在の建物は、現存する賀茂七家唯一の社家遺構になる。 
◆歴史年表 かつては、賀茂(鴨)氏族の後裔が上賀茂神社の周辺に住んだ。
 室町時代か安土・桃山時代、社の門前町を形成し、集まって住むようになる。戦国時代には、溝を築いて防御していた。
 社家は五官(神主、禰宜など)と、二十一職の社司、奉仕する氏人などがある。鎌倉時代までには、賀茂県主(かもあがたぬし)の後裔という「賀茂十六流」(氏、平、清、能、久、俊、直、成、重、幸、季、保、宗、弘、顕、兼→経)の中からのみ、上賀茂神社の世襲制の神職が選ばれていた。鎌倉時代以降、後鳥羽天皇の長子といわれる氏久の系統につながる家々が独占したという。
 神主筋の「賀茂七家」としては、松下、森、鳥居大路、林、梅辻、富野、岡本家で、近代以前の神主、禰宜(ねぎ)、祝(はふり)、権禰宜、権祝などの九職を務め、社家町を形成していた。
 江戸時代、社家町は大門と木戸門によって守られていた。275軒の社家が存在した。
 近代、明治維新、神職は内務省神祇官の職となり、社司、氏人は解かれ、神主家七家(賀茂七家)の制度も廃止されている。
 現代、1986年、京都市指定有形文化財に指定された。
◆建築 現主屋の建築年代、改修などは不明。ただ、江戸時代末、1838年頃には、現在の形になっていたという。
 建物は、居室部と座敷部とからなる。居室部は、南の正面に身分の高い人の公式の出入口、母屋造の式台を付属している。さらに、妻面(南)は小屋裏まである柱、横木の貫(ぬき)で、飾り社家住宅の様式となっている。
 建物の西にある内玄関は、入り口が鳥居形となり、社家町の特徴の一つになっている。また、手前に供待ちの腰掛けも設けられている。
 座敷部は、座敷と次の間がある。この二室は、約250年前、御所の学問所を移したものともいわれている。座敷は北に押板風の床の間、東の付書院には花頭窓(火頭窓)、天井は床指し(床の間に対して天井板を下から支える細い部材)が直角に取り付けらている、棹縁天井が張られている。
 1986年、京都市指定有形文化財に指定されている。
◆土木技術
 鴨川扇状地に建てられているため、敷地の水捌けを良くする工夫が見られる。
 縁には、庭側に緩やかな傾斜がつけられている。
 屋根には縦の樋がなく、軒先の雨水は、突き出た樋の先から庭の「雨おとし」に落ちる。これは、雨水を地下に浸透させるための仕掛けという。雨おとしは、大小の石が敷き詰められている。
 床下に開けられた穴「竜の口」も、床下の水捌けを良くし、湿気を防ぐ工夫という。 


*普段は非公開。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。


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カンアオイ

座敷部

座敷

座敷の花頭窓(火頭窓)

江戸時代中期の真言宗の僧・契沖(1640-1701)の書、国学者でもあった。天井は棹縁天井。

三条実美の額、三条実美(1837-1891)は、江戸時代後期-近代の公卿、政治家。

縁の床板は、直角に張られ、しかも外へ向けて傾斜がつけられている。
通気性を良くするため、縁の下も設けられている。

屋根の裏側、樋が外へ迫り出している。

大小の石で作られた雨おとし、ここで雨水を受ける。

床下に空けられた竜の口

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 梅辻家 京都市北区上賀茂北大路町 

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