祇王寺 (京都市右京区) 
Giou-ji Temple

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カラスウリ


山門





本堂、吉野窓



 小倉山東麓にある祇王寺(ぎおうじ)は、『平家物語』に登場する白拍子姉妹・祇王と祇女ゆかりの寺として知られている。 
 往生院祇王寺という。かつては、往生院ともいわれた。山号は高松山という。
 真言宗大覚寺派の塔頭尼寺。本尊は大日如来。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細不明。
 平安時代末期、念仏房良鎮は往生院を再興した。子院・三宝寺は、融通念仏弘通道場として栄える。数多くの坊が建ち並び、祇王寺はその一院であったという。
 中世(鎌倉時代-室町時代)以降、荒廃する。その後、祇王寺と三宝寺のみが残った。
 江戸時代、祇王寺として復興する。
 1771年、住職・往生院法専尼が「妓王妓女仏刀自之旧跡」の追悼碑を建立した。
 1780年、当寺、往生院が記され、かつて西の山上にあり、後に現在地に移されたという。(『都名所図会』)
 1814年、伊能忠敬が愛宕山に参詣し、裏坂、清滝、祇王寺、清凉寺なども測量している。(『伊能忠敬測量日記』)
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、安永の祇王寺は廃寺となる。跡地は大覚寺が管理した。
 1895年、元京都府知事・北垣国道の別荘の一部(茶室)の寄進を受け本堂とする。文人画家で儒学者・富岡鉄斎、大覚寺47世門跡・楠玉諦師の尽力により再建された。水薬師の智鏡尼が住職となる。
 1902年、旧地頭の大覚寺より、本尊・大日如来像、平清盛、祇王、祇女、刀自、仏御前の木像を当寺に遷す。墓も遷されたともいう。
 1936年、高岡智照が無住の寺に入り、再興した。
◆念仏房良鎮 平安時代後期の天台宗僧・念仏房良鎮(ねんぶつぼう りょうちん、?-1182?)。詳細不明。融通念仏宗開祖・良忍(1073?-1132)の弟子。法然(1133-1222)の弟子ともいう。平安時代末期、往生院を再興し、融通念仏弘通道場とした。
◆祇王 平安時代末期の白拍子・祇王(ぎおう、?-1172?)。詳細不明。妓王。近江国平家の家人・江部九郎時久(江辺九郎時定)の娘。父が罪を犯し北陸(伊豆)に流され、母・とじとともに京都に出て白拍子になったという。その後、平清盛の寵愛を受ける。西八条に屋敷を与えられ、母、妹も呼び寄せた。故郷が水不足に苦しんだ際に、清盛に水利工事を願い出る。野洲川から三里の溝が掘られ、以後旱害がなくなる。人々はこれを祇王井川(1173)と呼び、現在も使われている。
 白拍子・仏御前を清盛にとりなし、清盛は仏御前を寵愛したことから、祇王と母、妹は館を追い出される。その後、共に出家し、当地に移り庵を結んだともいう。(『平家物語』巻第一「祇王」)
 祇王寺に墓とされるものがある。「性如禅尼承安二年(1172年)」と刻まれている。
◆仏御前 平安時代末期の白拍子・仏御前(ほとけ ごぜん、1160-1180)。加賀国に生まれた。父・白河兵太夫は、五重塔塔守だった。幼少より仏教を信心し仏御前と呼ばれた。1174年、14歳で上洛し、叔父・白河兵内のもとで白拍子となる。平清盛の前で即興で今様を詠み、舞ったことから寵愛を得たという。(『平家物語』)。1177年、出家し、報音尼と称し往生院(祇王寺)に入寺する。1178年、帰郷し亡くなる。墓所は小松市原町にある。
◆高岡智照尼 近代の尼僧・高岡智照尼(たかおか ちしょうに、1887-1996)。高岡たつ子。大阪に生まれた。12歳で花街に売られ、1908年、宗右衛門町で舞妓となる。照葉と名乗る。1911年、新橋の花柳界に移り、その美貌により、公家で政治家・西園寺公望(1849-1940)、陸軍軍人で政治家・桂太郎(1848-1913)、第20代内閣総理大臣・高橋是清(1854-1936)などの得意客を持つ。1915年、妓籍を去る。結婚、自殺未遂などの後、1929年、奈良に隠棲、俳人で小説家・高浜虚子の門下として俳句を学ぶ。1934年、39歳で奈良・久米寺で出家得度する。1936年(1939年とも)、祗王寺に入り、荒廃していた寺を再興した。境内に「黒髪塚」がある。
◆久保田米僊 近代の日本画家・久保田米僊(くぼた べいせん、1852-1906)。京都に生まれる。1867年鈴木百年に師事。1878年、京都府画学校設立に尽力、教員となる。第1回内国絵画共進会で銅印、第2回展では最高賞を受賞。京都美術協会の結成に尽力した。1889年、パリ万博で金賞を受賞し渡仏。1891年、徳富蘇峰の誘いで上京し『国民新聞』に入社した。1894年、日清戦争の従軍記事を報じた。後年は失明し、俳句、著述活動を行った。『米僊漫遊画譜』『米僊画談』などを著す。境内南に塔が立つ。
◆金子静枝 近代-現代のジャーナリスト・金子静枝(?-1909)。日出新聞記者。美術典礼に通じ、時代祭行列を考案した。境内に分骨塚がある。
◆仏像・木像 仏間に、本尊・大日如来像がある。
 本尊の右に祇王、刀自、左に祇女、仏御前、平清盛、木像を安置している。木像は、1902年に大覚寺より遷されたという。
 祇王、祇女は、鎌倉時代末の作で、眼には水晶(玉眼)が入る。
◆建築 本堂は、1895年、元京都府知事・北垣国道の別荘の一部(茶室)であり寄進により移された。控の間には、円い窓の吉野窓があり、虹の窓ともいわれる。竹と藤の格子が斜めに交差して組まれている。陽光の加減により、虹色の光彩が現れるという。
◆庭園 苔に覆われた庭園は、祇王桜、薮椿、竹林、秋には紅葉の名所になる。
 庭に蹲踞がある。土蜘蛛灯籠がある。
◆平家物語 『平家物語』巻第一「祇王」には、美貌の二人の白拍子、祇王と仏御前(仏、ほとけ)の悲哀が語られる。祇王は母・刀自(とじ)とともに京都に出て白拍子となった。その後、平清盛(1118-1181)の寵愛を受ける。西八条に屋敷を与えられ、母、妹・祇女(ぎにょ)も呼び寄せ、毎月100石100貫を与えられる何不自由のない生活を送る。
 3年後、祇王の前に新たな美しい白拍子・仏御前が現れる。加賀国生まれの仏御前は、清盛の西八条殿で舞いの披露を願い出る。だが、清盛は祇王に気遣い、当初は門前払いにした。だが、祇王はこの願いを優しくとりなす。清盛は、仏御前の今様と舞に心奪われてしまう。
 やがて、祇王と母、妹は館を追われることになる。仏御前も祇王に対して心痛む日々を送る。舞も舞わず、泣き暮らす。翌春、清盛は祇王に使者を遣わす。仏御前を慰めるために、祇王に舞を舞うようにと命じた。祇王が返事をしないため、清盛は脅す。祇王は母に説得され、やむなく舞いを披露する。だが、清盛は祇王を冷遇した。祇王は悲しみのあまり身投げを決したものの、母に説得され思いとどまる。
 その後、祇王は21歳で出家した。母、妹もそれに倣い出家し、母娘3人は当地に移り庵を結んだという。「萌え出るも枯るるもおなじ野辺の草いづれか秋にあはで果つべき」の一首を残した。
 ある秋の日、母子が念仏をあげていると庵を訪れた者がある。尼僧姿の仏御前だった。仏御前は祇王を不憫に思い、わが身も同じ運命として無常を感じ、西八条殿を抜け出してきたという。その後、4人の尼僧は、当庵で共に暮らし念仏三昧の余生を送ったという。(『平家物語』「祇王の事」)
◆祇王寺日記 『祇王寺日記』(1973)は、寺の庵主だった高岡智照尼(1887-1996)の日記になる。
 日記は、88歳の米寿の時に書かれた。12歳からの過去を綴った赤裸々な内容だった。その生涯は瀬戸内寂聴(1922-)の『女徳』(1963)にも描かれた。
◆墓碑 鎌倉時代の作とされる平清盛(1118-1181)の五輪石塔の供養塔がある。 
 鎌倉時代作の祇王・祇女の墓といわれる宝筐印塔がある。
 江戸時代、1771年に往生院法専尼が建立した「妓王妓女仏刀自之旧跡」の碑がある。没後600年忌に立てられた。「性如禅尼承安二年(1172年)壬辰八月十五日寂」とある。「性如禅尼」は妓王を指すという。撰文は巌垣彦明、書は岡部長啓による。
 高岡智照尼の黒髪塚、金子静枝の分骨塚がある。
◆花木 薄墨椿がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京の古都から 12 祇王寺』『京都・山城寺院神社大事典』『京の石造美術めぐり』『京都の寺社505を歩く 下』『京都古社寺辞典』『京都・美のこころ』『京都美術の 新・古・今』『おんなの旅路 京・奈良の尼寺』『京の尼寺 こころの旅』『古都の尼寺』『おんなの史跡を歩く』『京を彩った女たち』『女たちの京都』『京都隠れた史跡100選』『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都 神社と寺院の森』


   滝口寺                   






ヤブラン




嵯峨菊

庭園にある苔の種類、ヒノキゴケ、ホソバシラガゴケ、オオシラガゴケ、ギンゴケ、シノブゴケ、タマゴケ、フデゴケ、ヤマトフデゴケ、ハイゴケ、コウヤノマンネングサ、カモジゴケ、スギゴケ、ナガエノスナゴケ、カサゴケ、ミズゴケ‥。

竹林、孟宗竹

フタバアオイ

「妓王妓女仏刀自之旧跡」の碑

三重塔、鎌倉時代中期の三重塔は祇王・祇女・母刀自・仏御前の墓といわれるが確定されていない。石は寄せ集めたものという。塔身に舟形光背、四方仏、面取、花崗岩製、3m。

三重塔、四方仏

五輪塔、鎌倉時代中期作、平清盛塔という。水輪に金剛界四仏の梵字がある。

金子静枝の分骨塚

五輪塔
祇王寺 グーグルマッブ・ストリートビュー
 祇王寺  〒616-8435 京都市右京区嵯蛾鳥居本小坂町32  075-861-3574   9:00-16:30

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