出町橋 (京都市上京区-左京区) 
Demachi-bashi Bridge

   

出町橋大文字山


葵祭


参照】御幸橋(旧出町橋)を渡る葵祭の祭列、右端に御生橋(御蔭橋)、「葵祭古地図」より。鴨川設置の京都府の案内板より。


北方向、北山葵橋


東方向、大文字山


河川敷一帯は公園になっている。ここには「小川」がある。
 鴨川と高野川の合流する糺の森の三角州付近、鴨川に架かる出町橋(でまちばし)は、京都御所を出発した葵祭の行列が下鴨神社に向かう道筋にあたる。出町とは京の出口の意味という。
 橋の周辺は、東山、大文字山の眺望がきき、親水公園がある。
◆歴史年表 近代以前、個人所有の一本橋が架かり、橋銭を徴収していた。
 近代、1885年、鴨川洪水により出町橋が流出する。 1890年、府が橋を買い取る。
 大正期(1912-1926)、橋は「鴨川新出町橋」と呼ばれた。一つ上流に架かる葵橋が台風により陥没した際には、一時期「葵橋」と呼ばれた。
 1931年、市電が開通し、架け替えられる。
 現代、1954年、現在の橋が架けられた。
◆出町橋 現在の出町橋の架設年は1954年になる。 橋種は3径間連続鋼プレートガーター、橋長82.9m  幅員12m。
◆出町界隈 出町橋の鴨川西岸には、安土・桃山時代、1591年に豊臣秀吉による御土居が築かれ、出入り口が設けられていた。現在残る桝形通という地名は、江戸時代中期、この御土居(寛文新堤とも)の出入り口(虎口)が桝の形だったことによるという。川岸には、堤防の強化をするために柳が植えられていた。高野川の東岸付近には、柳に因み「柳の茶屋」があった。
 出町は、現在では河原町今出川付近のことをいう。河原町通が拡張工事される大正期(1912-1926)以前は、寺町今出川の大原口付近のことを指した。今出川口、出町口とも呼ばれた。江戸時代には、この旧出町の通りの東は行き止まりで、一度北へ上がり、東へ入って鴨川に出ていた。
◆鯖街道 出町橋西のたもとに「鯖街道口(さばかいどうぐち)」の碑が立つ。鯖街道(若狭街道)は、若狭の国(現在の福井県小浜)から、北前船で陸揚げされた魚、海産物などを九里半街道、若狭街道を経て京都まで運んだ道をいう。「魚道」の別称もある。
 ただ、鯖街道という呼び名については、戦後になって使われた俗称とされる。古くより若狭から運ばれてきたのは塩であり、海産物(塩干しのむし鰈、小鯛)、ほかに、木炭、油粕、穀類、下駄、菜種などの特産品も運ばれていた。
 若狭街道は、若狭からいくつもの道筋があった。たとえば、小浜市と高浜町から美山、京北、宇多野、鷹峯、上賀茂に通じていた西の道があった。さらに、京都だけではなく、奈良、飛鳥、丹波篠山などへも通じた。平城宮跡から出土した木簡にも記録が残るという。千数百年以前に、すでに若狭との交易が始まり、道は海産物や塩のみならず大陸文化も伝えた。
 鯖は滋賀県を経由し終点の出町柳まで18里(約80km)を、人手により運ばれた。若狭湾で早朝に取れた鯖は一塩され、熊川までは女性が運ぶ。さらに午後から、「街道稼ぎ」といわれた男たちが夜を徹して峠を越え、翌日の早朝に入洛した。10貫(37.5㎏)、15貫(56㎏)の荷を負縄一本で担ぎ、一昼夜のうちに運び入れた。
 都に着く頃にはいい塩加減になっており、「若狭の一塩もん」は、塩鯖、刺鯖、鯖寿司などに加工された。
◆鯖寿司 鯖寿司は、若狭の鯖と米どころ近江米により生まれる。酢と昆布でしめ、竹の皮で包んだ押し寿司であり、京都では、葵祭、祇園祭などのハレの日に食されてきた。
 鯖寿司の始原は、弥生時代の「なれずし」にある。魚、獣肉、野菜などを米飯で乳酸発酵させ保存した。奈良時代には、近江に「フナずし」が生まれる。鯖寿司は、江戸時代に京都で生まれた。若狭の小浜より運ばれた塩鯖は、京都でさらに酢でしめて味を整えた。
◆出町柳 鴨川東岸、出町柳付近は古くから広場の役割を担った。長徳寺付近では、西三条、柳原とともに米騒動(1918)の舞台になる。この時、鎮圧のために全国初の軍隊が出動する騒ぎになる。
 橋の西詰には、商屋、餅屋、種苗屋などがあった。江戸時代、天保年間(1830-1843)創業という種苗店「タネゲン」はいまも店を開く。河原町通に面した餅屋「出町ふたば」(1895-)は、豆餅が名物になっている。
 西詰の「枡形広場」には、京都電気鉄道(1900-)の終点駅が昭和初期まであった。この枡形は、鴨川洪水の際の水勢を弱めるために造られた。
◆米騒動 シベリア出兵(1918-1924)も絡み、米価値上げと米の売り惜しみに端を発した米騒動(1918)は、富山県魚津の漁村から瞬く間に全国に飛び火した。
 京都でも東七条柳原(8月10日)の暴動を最初に、市内、府下に拡大し、米屋や派出所が襲われた。京福電鉄出町柳駅前広場、長徳寺門前付近での騒動(8月12日)には、警官隊に加え第十六師団による鎮圧が行われた。 


*参考文献 『京の鴨川と橋 その歴史と生活』『京をわたる 橋がつなぐ人と暮らし』『京都の治水と昭和大洪水』『京都はじまり物語』 『京都水ものがたり 平安京一二〇〇年を歩く』



  大原口    下鴨神社   河合神社     御所     賀茂大橋    上賀茂神社       
おもな鯖街道概略図
鴨川公園周辺図

手押しポンプ

町橋西詰北にあるシダレヤナギの大木、ヤナギはかつて鴨川河畔によく見られた。ヤナギは枝や幹が柔らかく折れにくく、萌芽再生力も強いため洪水にも耐えることができた。

鯖街道口の碑、町橋西詰北

【参照】大原女、時代まつり

出町を行く現役の白川女

【参照】白川女、時代まつり

【参照】 鯖街道古知谷付近、右手は高野川

【参照】 鯖街道、百井付近、奥が京都方面、手前が若狭方面

長徳寺、鴨川東岸、出町柳駅の南。かつて米騒動の舞台のひとつ。


長徳寺の早咲きの桜

参照】大原口の道標、賀茂大橋の西、寺町今出川交差点北東、碑は1868年建立。大原口が若狭街道の出入り口に当たっていた。

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出町橋付近のライブ映像
map 出町橋 京都市左京区下鴨宮河町付近
    
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