宮川町 (京都市東山区)
Miyagawa-cho 

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見世出し


見世出し


始業式


節分会(八坂神社)


節分会




見世出し


見世出しの際に飾られる「はね」
 鴨川の東、四条通から五条通に位置する宮川町(みやがわちょう)(宮川筋、1丁目-8丁目)は、かつて鴨川の河原だったという。この南北の川筋に町が形成された。 
 宮川の町名の由来は、八坂神社の祇園祭の際に、神輿洗いが行われる鴨川の四条大橋下流を「宮川」と呼ぶことに由来するともいう。
 現在の花街としての宮川町は、北は団栗の辻子、宮川筋二丁目-七丁目の鴨川沿いをいう。
歴史年表 安土・桃山時代、1586年、豊臣秀吉による方広寺建立以来、周辺の整備が進んだ。
 江戸時代、1608年(1603年頃とも)、四条河原に阿国の踊りを真似た六条柳町の遊女による「総踊り」「遊女歌舞伎」が踊られ、人気を博した。
 1629年、幕府により遊女歌舞伎は風紀を乱すとして禁止される。その後、美少年による若衆歌舞伎が流行する。女舞、女浄瑠璃も禁じられる。 
 1652年、京都所司代・板倉重宗によりかぶきもの追捕令が出される。若衆歌舞伎が禁止され、野郎歌舞伎となった。その後、野郎歌舞伎を元にした女形による現在の歌舞伎となっていく。
 寛文年間(1661-1672)、鴨川を拓き一丁目-五丁目が開発されたともいう。
 1666年、宮川筋一町目が開発され、鴨川岸に石垣(東石垣)が築かれる。祇園外六町の開発により、祇園新地になる。
 1668年、宮川町の鴨川護岸が完成し、東石垣(宮川筋一丁目)と呼ばれる。
 元禄期(1688-1704)、宮川町の陰間(かげま、蔭間)が最盛になる。
 1669年、京都所司代の命により、宮川筋六町目、七町目を開く。
 貞亨年中(1684-1687)、宮川納涼が記されている。(『京羽二重織留』)
 1699年、6-8丁目が開かれる。
 1701年、大石内蔵助父子は宮川町陰間と遊興したという。
 正徳年間(1711-1716)、6丁目-8丁目は西御門町、建仁寺新門町とともに建仁寺新家地とも呼ばれる。一丁目は祇園外六町のひとつであり、ほかも含め石垣町とも呼ばれた。
 1713年、新宮川筋が開通する。
 1724年、芝居から出火し、六座を焼失する。
 1730年、水茶屋から出火し、六座を焼失する。
 1741年、石垣町-縄手車道間を焼失する。
 1750年、遊女体取締りにより、宮川町の茶屋女が多数、島原に送られる。
 1751年、祇園が、宮川町筋一町目-六町目の10年限りの茶屋株を許す。宮川町は遊里として認可され、遊所に芸者が現れる。
 1788年、宮川町団栗より出火し廓の多くを焼失する。(天明の大火)。
 1813年、宮川町一丁目-六丁目に茶立女一人あて召抱えを許される。召仕女、下働女は三人までとする。
 1857年、祇園新地内の林下町、橋本町の遊女屋・茶屋渡世に対し、大和大路廿一軒町、同常磐町、同弁財天町、四条中之町、四条川端町、宮川筋1丁目へ振り替えを命じる。宮川筋一町目は祇園新地に入り、再営業を許可される。
 1859年、宮川町は七条新地の出店として遊女屋茶屋渡世の許可が下りる。宮川筋七町目は遊郭地になる。東石垣一丁目は脱する。
 1867年、宮川町の全町が延焼する。
 近代、1873年、宮川町に下京二十区婦女職工引立会社が開かれる。傾城屋・遊女屋・茶屋は貸座敷、芸者は芸妓、遊女は娼妓と改称される。
 1874年、下京二十区婦女職工引立会社が開場した。「女紅場」と改められる。
 1879年、校舎(宮川町4丁目東)に東西2棟が建てられる。
 1880年、宮川町女紅場は東新道に置かれる。
 1882年、「貸座敷取締規則」「娼妓営業取締規則」が布達される。貸座敷営業免許地として、宮川町など京都市内9か所、市外6か所の合計15か所を定める。新露地(晴明塚の板跡)に一現(いちげん)茶屋が開かれる。
 1886年、五業組合(貸座敷、屋形小方、引手茶屋、娼妓、紹介人)が結成される。
 1890年、祇園甲部、先斗町、宮川町の芸妓が北垣国道府知事に対して市税徴収不服の訴訟を起こす。花街の中で制度が最も完備しているといわれた女紅場が竣工する。
 1891年、宮川町の芸妓が鴨東婦人慈善会を結成する。
 1892年、宮川町歌舞練場と改称する。
 1894年、琵琶湖疏水が開削する。
 1896年、東棟が改築され歌舞練場になる。宮川町の箱屋で給与増額を要求する。
 1897年、宮川町歌舞練場が新築造になる。
 1913年、宮川町歌舞練場が現在地(東山区宮川筋)に移転する。京阪電車の開通と共に宮川筋に桜が植えられた。
 1915年、京神線が三条延伸になる。
 1916年、現在の歌舞練場、女紅場が建て替えられる。
 1937年、宮川町にダンス芸者が現れる。
 現代、1950年、京おどり(宮川町)が始まる。
 1953年、恵比須神社の宵えびすに宮川町の宝恵籠が登場する。
 1954年、京おどりは阪急京都線延長工事のため南座で上演される。(1968年まで)。宮川町は篠塚流から楳茂都流(うめもとりゅう)に変わる。
 1958年、「売春防止法が完全実施になる。宮川町の娼妓は廃された。
 1968年、歌舞練場に玄関ホール棟が増築され、椅子に改装される。
 1969年、京おどりは本拠地で上演再開される。女紅場は学校法人・東山女子学園に引き継がれる。
 1970年、宮川町歌舞練場が新装になる。
 1994年、平安遷都1200年に際して五花街伝統芸能特別公演が開催される。
 1999年、街並みは、歴史的景観保全修景地区に指定されている。
 2006年、みずゑ会が31年ぶりに復活する。
◆歌舞伎 江戸時代、1608年、四条河原に阿国の踊りを真似た六条柳町の遊女による「総踊り」「遊女歌舞伎」が踊られ、人気を博した。1617年頃、若衆歌舞伎が現れたという。1629年、幕府により遊女歌舞伎は風紀を乱すとして禁止される。その後、美少年による若衆歌舞伎が流行する。1652年、若衆歌舞伎が禁止され、野郎歌舞伎になった。その後、野郎歌舞伎を元にした女形による現在の歌舞伎になっていく。1666年、宮川町通が通じ、1670年、寛文の鴨川新堤工事以後、三条から四条にかけて「新地」 の開発が進む。1681年四条河原にホタル茶屋も店を出し、1751年、宮川町には「陰(蔭)間茶屋」が許可を得て店を開いた。ここでは、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎などの役者が春を鬻ぐ遊郭になる。
 歌舞伎役者への大向こうの掛け声として有名な「音羽屋」「成駒屋」も、宮川町にあった宿の名といわれている。歌舞伎役者がこれらの屋号に定宿にしていたことに由来している。
◆宮川町 近代以降、芸妓舞妓の教育のための女紅場が設立され、1969年の東山女子学園に引き継がれた。
 近代以降、宮川町の記章は、三ツ輪の重なるものとなっている。これには諸説あり、女紅場が府立になる際に協力した町屋、社寺、花街の三者を表すとする説。祇園祭の際の神輿三基を表すとする説。宮川の「みや」の転訛「みわ」から「三輪」となったとする説などがあるという。
 宮川町には舞妓さんの数が多い。また、すべての置屋がお茶屋を兼業している。現在37軒のお茶屋があり、芸妓40人、舞妓28人いる。(2007)。学校は東山女子学園。舞台は宮川町歌舞練場。舞いは若柳流。
◆法城寺・晴明塚・晴円寺 宮川町五丁目(東山区)、鴨川東岸に、かつて、安倍晴明が鴨川の防水を祈念して建立したという法城寺が建っていた。その後、寺は廃し、晴明塚(宮川筋の西)だけが残されたという。
 晴明塚は後に晴明社とも呼ばれる。松原通宮川町の北東にあったという。この地に堂を建て、晴円寺と号した。阿弥陀仏を本尊とし、洛陽阿弥陀回り32番札所になっていた。江戸時代、寛文年間(1661-1673)、宮川町の開発に伴い塚は除かれる。跡地に晴明大明神の祠が祀られたという。この時、塚は宮川町五丁目・弓矢町に移される。この地は、晴明辻子とも呼ばれ、後に物吉村(ものよしむら)と呼ばれた。陰陽師村だったともいう。
 晴円寺は、ハンセン氏病患者の収容所・病院を管理していた。施設は物吉村(松原通大和大路西入ル)にあったという。「ものよし」といわれる者が五節句の頃に門付けを行い、その勧進により施設は運営されていたとていう。岡崎・悲田院に属し、その後、独立したともいう。近代、1871年、廃仏毀釈にともない清円寺は廃寺になる。病棟も廃止になった。
◆建築 「宮川町歌舞練場」は、純木造建築になる。近代、1916年に建立された。1968年(1970年とも)に玄関ホール(コンクリート造)増築、客席の改装が行われている。
 舞台は間口8間、奥行5間、天井は吹き寄せ格子の格天井。舞台上部に唐破風・透かし欄間がある。二階南側の大広間(49畳)には、床、棚、書院がある。
 四方に寄棟造の破風がある。一部にトラス構造を採用する。木造二階建地下一階建。瓦葺。
宮川町の催し 始業式(1月7日頃)、節分祭・お化け・八坂神社奉納舞踊(2月2-3日)、京おどり(4月第1-第3日曜)、平安神宮奉納舞踊(4月17日)、五花街合同公演(6月第2土、日曜)、祇園祭花傘巡行(7月24日)、八朔(8月1日)、みずえ会(10月)、時代祭(10月22日)、お火焚祭(11月中旬)、南座顔見世総見(12月4日)、事始め(12月13日)。


*参考文献 『日本花街史』『京の花街』『日本地名大辞典 26 京都』『京都市の地名』『京の花街 ひと・わざ・まち』『京都の近代化遺産』


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