琵琶湖疏水・岡崎公園・鴨川運河 (京都市左京区ほか)
Biwako Sosui (Lake Biwa Canal)
琵琶湖疏水 琵琶湖疏水 
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慶流橋、1895年架橋された。当初は木製で、1963年にコンクリート製になる。長さ24.2m、幅22m、青銅の擬宝珠に「慶流元窮」と刻まれている。


鴨東運河、奥が東山連峰



鴨東運河、岡崎公園はかつての白河法皇による法勝寺跡


市指定史跡、国の史跡・南禅寺水路閣(1888)、上部を琵琶湖疏水が流れている。ローマの水道を参考にしたといわれている。レンガ造、長さ93.17m、幅4.06m、高さ9m。


鴨東運河、左、平安神宮大鳥居と疏水にかかる慶流橋、一帯の岡崎公園は、第四回内国勧業博覧会・平安奠都(てんと)千百年紀年祭(1895年)会場跡地に、1904年開設された京都市営公園になる。その時造営された平安神宮のほか、現在は、京都国立近代美術館、京都市美術館、京都府立図書館、京都市動物園、京都会館、京都市勧業館(みやこめっせ)などの施設が集中している。


鴨東運河




サクラの頃運行されている観光船の十石船


インクライン周辺拡大図



野村美術館南付近


山科疏水

名称 延長 経路 工期
第1疏水 19.968 大津市観音崎→京都市伏見区堀詰町 鴨川合流点まで(含、鴨東運河)、1885~1890年
以南、鴨川運河、1892~1894年
第2疏水 7.423 大津市観音崎→京都市山科区日ノ岡一切経谷町 1908~1912年
疏水分線 3.346 京都市山科区日ノ岡一切経谷町→京都市左京区北白川久保田町 1890年
第2疏水連絡トンネル 4.5 大津市観音崎→京都市山科区安朱東海道町 1992~1999年

鴨川と琵琶湖疏水
図は単純化しています。


疏水と鴨川の合流点、白川放水路放水口・冷泉放水口付近、左が鴨川


左、白川放水路、右、東から西へ流れている鴨東運河、背後は東山、手前が鴨川


インクライン


インクライン




左手が鴨川、右手が放水口


白川放水口、普段は鴨川へ通水されていない。


白川放水口


鴨川東岸沿いに南へ流れ下る鴨川運河、伏見へと向かう。1894年に完成した。二条から五条にかけては当初、精米、紡績工場など疏水の水を利用した水車による工場が稼動していた時期もあったという。


白川放水口に架かる田辺小橋


鴨東運河、白川放水路に架かる田辺橋、川端通


夷川水力発電所


夷川発電所、夷川舟溜(夷川ダム)


夷川水力発電所
 1869年の東京遷都に伴い、京都の再興のために様々な殖産勧業政策が採用された。その中に、一大事業になった琵琶湖疏水(びわこそすい)工事がある。滋賀県の琵琶湖から京都へ水を引き入れる難工事には、多くの人々が関わった。疏水は現在もなお、京都に多くの貢献をしている。 
 琵琶湖第一疏水は、大津の三保ヶ崎から鴨川合流点までの11.1kmになる。広義には、鴨川東岸より伏見堀詰に至る鴨川運河の8.9kmを含めた総延長20kmになる。
◆歴史年表 
近代
、1881年、第3代京都府知事・北垣国道は、琵琶湖疏水を計画した。調査、測量、設計に着手する。
 1885年、6月、第1疏水工事(鴨川合流点まで、含鴨東運河)が始まる。
 1887年、疏水分線(蹴上より分岐)が着工する。
 1888年、ねじりまんぼ、南禅寺水路閣(高架水道橋)が建設される。
 1890年、崩落事故が起きる。第1疏水工事(大津-鴨川合流点、鴨東運河を含む)が終わる。疏水分線が完成する。夷川の舟溜りで、第122代・明治天皇・皇后臨席により琵琶湖疏水竣工式(疏通式)が行われる。
 1891年、日本初の事業用の蹴上発電所が竣工した。11月、送電が開始される。インクラインが営業運転を開始した。
 1892年、第1疏水工事(鴨川合流点以南-鴨川運河)が始まる。
 1894年、第1疏水工事(鴨川合流点以南-鴨川運河)が終わる。9月、鴨川運河が開通する。
 1895年、蹴上発電所で電力供給が開始された。岡崎で第4回内国勧業博覧会・平安遷都千百年紀年祭が開催された。1月、鴨川運河の舟運が始まる。京都電気鉄道伏見線が開業する。
 1896年、武徳会が京都初の水泳講習を夷川舟溜りの夷川水泳場で始める。
 1902年、疏水工事殉職者弔霊碑が建立された。第2疏水計画が京都府に出願される。
 1905年、第2疏水計画が滋賀県に出願される。
 1906年、第2疏水計画が許可になる。
 1908年、大津-京都の測量が完了した。第2疏水の工事が始まる。
 1909年、蹴上浄水場の建設が着工する。
 1912年、第2疏水の工事が終わる。鴨川運河の川幅は2倍に拡張された。蹴上浄水場の水道水供給が始まる。御所水道ポンプ室が建てられる。
 1935年、「旧都復興計画」が立てられる。景観に配慮した復興、琵琶湖疏水・京阪電車地下化も盛り込まれた。
 1941年、「田邊朔郎君紀碑」が鴨川公園より現在地(疏水公園)に移された。
 現代、1948年、蹴上インクライン(傾斜鉄道)が稼動中止になる。
 1969年、夷川舟溜りでの水泳講習が終わる。
 1970年、国鉄湖西線拡張工事に伴い、諸羽トンネルが完成する。
 1977年、蹴上インクライン(傾斜鉄道)が復元された。
 1979年-1987年、琵琶湖疏水(鴨川運河)、京阪電車の地下化工事が行われた。
 1982年、「田邊朔郎博士銅像」が疏水公園に建立された。
 1989年、琵琶湖疏水記念館が開館した。京阪地下化により、鴨川運河は三条通手前より地下化される。
 1992年、第2疏水連絡トンネルの工事が始まる。
 1996年、インクライン、水路閣など12か所が近代遺産として国の史跡に指定された。
 1999年、第2疏水連絡トンネルの工事が終わる。
 2001年、蹴上発電所、夷川発電所、墨染発電所は、土木学会選奨土木遺産に認定された。
 2009年、琵琶湖疏水記念館が改装される。
◆北垣国道 近代の官僚・北垣国道(きたがき くにみち、1836-1916)。鳥取藩郷士北垣三郎左衛門の子に生まれた。1863年、攘夷派の平野国臣らによる生野の変に加わり、失敗する。戊辰戦争(1868-1869)に参軍。維新後、1869年、弾正少巡察、1871年、鳥取県の少参事、高知・徳島両県令、1881年より11年にわたり京都府知事を務めた。京都商工会議所設立を認可、琵琶湖疏水事業を勧めた。内務次官、北海道庁長官、1896年、男爵に叙せられた。貴族院議員、枢密顧問官を務めた。
◆田邊朔郎  近代の土木工学者・田邊朔郎(たなべ さくろう、1861-1944)。洋式砲術家・田邊孫次郎の長男として江戸に生まれた。1861年、朔郎が9カ月の時、父が病死する。その後、生活困窮する。1871年、叔父・太一が外務省任官となり援助を受ける。1883年、借金して学業を続け、工部大学校(東京大学工学部の前身)を卒業した。1881年以来の実地調査に基づく卒業論文「琵琶湖疏水工事の計画」が北垣国道京都府知事の目に留まり、請われて京都府疏水御用掛になる。琵琶湖疏水工事に従事する。1890年、琵琶湖疏水が完成し、北垣の長女・しずと結婚する。1891年、蹴上発電所が完成、東京帝国大学教授に就任した。1896年、東京帝大を退任し、北海道庁鉄道部長として官設鉄道の計画・建設にあたる。1910年、京都帝国大学教授に就任、1916年、工科大学長に就任した。1918年、退官後も各地の鉄道建設計画等に関与した。
◆島田道生 近代の測量技師・島田道生(しまだ どうせい 1849-1925)。但馬国生まれ。北海道開拓使仮学校第一期生。高知県、熊本県に勤める。1883年、測量技師として京都府に勤めた。琵琶湖に湖面水位観測のための量水標設置を提言し、琵琶湖疏水基本構想の際の測量図作成に当たる。島田の成案により農商務省の工事許可を得る。島田が主導した琵琶湖疏水工事のための測量は正確を極め、長等山トンネルの貫通時に高低差1.2mm、中心差7mmで結合した。
◆河田小龍 近代の画家・河田小龍(かわだ しょうりょう、1824-1898)。土佐国軽格の藩士・土生玉助維恒の長男に生まれる。祖父の川田姓を継ぐ。後に河田姓に復す。島本蘭渓に画を学び、藩儒学者・岡本寧浦の門に入る。1844年、吉田東洋に従い上洛、京狩野家9代目・狩野永岳につく。1848年、二条城襖絵修復に従事した。1852年、米国より帰国した漁師・中浜万次郎(ジョン万次郎、1827-1898)の取り調べに当たる。万次郎に読み書きを教え、自らは英語を学ぶ。その際の記録を絵を付け『漂巽紀畧』5巻として上梓する。知人の坂本龍馬に万次郎から聞いた海外事情を伝え、貿易の重要性を説き、龍馬に影響を与えた。1889年、京都府疏水事務所庶務付属に採用され、琵琶湖疏水工事の記録画作成に当っている。
◆片山東熊 近代の建築家・片山東熊(かたやま とうくま、1917-1854)。長門国萩生まれ。父は文左、母はハル。1867年、奇兵隊に入隊、1868年、戊辰戦争に従軍。1873年、工学寮第1期生として入学、造家学を専攻した。1879年、第1等の成績で卒業後、工部省、太政官、外務省、1886年、皇居御造営事務局、1887年、宮内省匠師。山県有朋の知遇を得る。離宮、皇族邸館、日本赤十字社,帝国奈良・京都両博物館などを設計。1898年、東宮御所(迎賓館赤坂離宮)御造営事務局技監。1904年、内匠頭。1908年、東宮御所竣工。のち東京帝室博物館の表慶館などを設計。1914年、桃山御陵を造営、1915年、退官。1916年、勲1等旭日大綬章受賞した。
◆琵琶湖疏水 1881年、第3代京都府知事に就任した北垣国道は、琵琶湖疏水を計画した。当初の計画では、疏水分線を鹿ケ谷で分水させ、落差を利用し工業用水車利用により、東山山麓一帯を工業地帯化させるものだった。
 主任技術者として、工部大学校(後の東京帝大)を出て、卒業論文に「琵琶湖疏水工事計画」を書いた田邊朔郎を工師(工事主任)として迎えた。測量主任・嶋田道生(1849-1925)も多大の貢献をした。
 なお、大津から京都、伏見への通船路の計画は古くから数多くあり、角倉了以を初め、いつくかの計画案がある。たとえば、江戸時代、1669年の京都の田中四郎左衛門による日本海と琵琶湖、京都を結ぶ計画も立てられている。琵琶湖疏水計画には、福島県の安積(あさか)疏水などが参考にされた。なお、疏水計画に対して、当初、滋賀県、大阪府の批判、負担金、疏水ルートをめぐり京都市民の批判、反対の動きも起きている。
 疏水計画の当初の目的は、製造機械、運輸、田畑灌漑、精米水車、火災虞、井泉、衛生上に関する事などだった。その後、計画の変更も度々行われ、水力発電、上水施設、市電なども加わり、利用目的も時代での変遷がある。疏水分線での水車利用も、明治の終わり頃まで小規模な精米などに利用された。
 琵琶湖と京都の水位差は33mある。琵琶湖疏水は全長11.1㎞、大津市三保ヶ崎より取水され、第1疏水、第2疏水、疏水分線からなっている。疏水は、日本人による最初の近代的な土木工事として歴史的に評価されている。
 第1疏水では6本のトンネル工事が行われた。長等山第一隧道工事(2.436㎞)において、工期短縮のために堅坑道を掘削水準高まで掘り下げ、左右に掘り進むという日本初の工法が試みられている。
 使用された赤レンガは、御陵原西町のレンガ工場で造られた。約4.4haの敷地には、12か所の登り窯が開かれ、周辺で採取した土を使い、1886年から約3年間で約1370万個のレンガを製造し、疏水工事用に使われた。工場では囚人労働も行なわれた。
 セメント、ダイナマイトなど新しい素材、技術も用いられた。工事は人力に頼り、湧水に悩まされる難工事になった。1890年には、崩落事故が起き、65人の工夫などが生き埋めになる。幸いにも全員無事に救出されている。
 この工事において、貫通した隧道の誤差は極めてわずかなもので、測量の精度が確かめられている。のべ400万人の労力を投じ、破格の125万円の工事費を投じ、3年6カ月をかけて疏水は完成した。完成後、祇園祭の山鉾が巡行し、大文字の送り火も行われるほど京都市民は大歓迎した。
 1912年、第2疏水は、京都市の三大事業(ほかに水道事業、市電開通及び幹線道路拡幅)の一つとして完成した。同年、日本初の急速濾過式浄水場である蹴上浄水場も設置され、給水が始まる。
◆水力発電 1888年、田邊朔郎は、高木文平とアメリカで視察したアスペン電力会社の水力発電所を、急遽、疏水計画に取入れている。1891年、蹴上発電所(左京区粟田口鳥居口町)が竣工し、1895年、世界で2番目、事業用発電所としては日本初の電力供給が開始された。80kWの直流発電機2台による。
 この第一期(第一次)発電所の後、第2期発電所(1912-1936)が増設され、発電出力5MW、発電機5台により稼動した。第3期発電所(1936-)では発電出力5800kWに増強される。1942年、京都市より関西電力に所有権が移る。その後、1952年に京都大学科学研究所付属の原子核科学研究施設が設置された。現在は、第3期発電所が稼働し、発電出力4500kWになる。
 琵琶湖疏水にある夷川発電所(関西電力)は、1912年に完成した。1914年に発電開始する。現在は無人運転で発電出力300kW、落差はわずかに3.420mになる。使用水量13.910毎秒立方メートル。
 墨染発電所(伏見区)は、琵琶湖疏水の終点にある。1914年より発電開始された。発電出力2200kW、落差14.310m、使用水量12.710毎秒になる。 
 2001年、蹴上発電所、夷川発電所、墨染発電所は、「琵琶湖疏水発電所群」として土木学会選奨土木遺産に認定された。
 1894年に設立された京都電気鉄道株式会社は、この電力を利用し、1895年、京都駅と伏見間に日本初の市電営業を開始している。なお、市電は1978年に全廃された。
 1994年、琵琶湖の今後の水位低下にも対応できる、第2疏水連絡トンネルが完成した。琵琶湖疏水は、一日200立方メートルを送水し、そのうち112万立方メートルが水道用に使われている。当初の疏水計画の中で、一番最後に挙げられていた飲料水の安定的な供給が、現在も疏水の最も重要な役割を担っている。
◆インクライン
 日本初のインクライン(市文化財)は傾斜鉄道,incline)であり、米国ニュージャージー州モーリス運河に倣った。工事は1887年-1890年に行われた。あえてインクラインが設けられたのは、急勾配のため船での往来ができなかったことによる。
 頂部の蹴上舟溜と下部の南禅寺舟溜間582m、落差36m、勾配15分の1の坂を、艇架台(台車)に高瀬舟(三十石船)を載せ、10-15分で上下させた。当初、ドラムの動力として水車動力を計画していた。後に電力に変更され、モーターでワイヤーを牽引した。運転は1891年-1951年まで続き、旅客、貨物、近江米などを運んだ。1902年頃の最盛期には、貨物船14600隻、旅客船21000隻、年間20万人を運んだという。琵琶湖疏水の完成によって、大津、京都、伏見、大阪間の舟運が確立した。
 1948年、インクラインが稼動中止になる。1977年、復元され、桜の名所になっている。16代・佐野藤右衛門が管理する。1996年、インクライン、水路閣など12か所が近代遺産として国の史跡に指定された。
 なお、伏見墨染と伏見城外堀跡間には伏見インクラインがあった。琵琶湖疏水伏見運河の一部であり、1894年に完成した。1914年に発電所も設置されている。その後、鉄道の開業などで次第に廃れた。伏見インクラインは、1959年に撤去された。 
◆旧九条山ポンプ場 疏水沿いに建つ「旧九条山ポンプ場(九条山浄水場ポンプ室)」は、かつて「御所水道ポンプ室」と呼ばれた。1912年に建てられた。設計は片山東熊による。
 宮廷建築であり、御所に送水するための施設だったという。1992年まで、京都御所には疏水の水を分水した専用水路「御所水道」が引かれていた。
◆蹴上浄水場 京都市水道局所管の蹴上浄水場(東山区粟田口華頂町)は、1909年に工事着工になり、1912年より水道水の供給を介している。琵琶湖疏水を水源にしている、日本初の急速濾過式浄水場になる。当初の供給能力は、6.8万立方メートル/日、1962年に拡張工事が行われた。1997年まで現役で役割を担っていた。現在は第2系統のみが稼働し、9.9万立方メートル/日になる。つつじの名所であり5月に一般公開されている。
 市内の浄水場はほかに、松ヶ崎、山ノ内、新山科浄水場があり、いまも琵琶湖疏水を水源にしている。
◆ねじりまんぼ 
インクラインの盛土の下を潜る小さな隧道は、「ねしじりまんぽ」と呼ばれている。三条通(国道143号)から南禅寺へ通じる。「まんぽ」とも呼ばれ、関西地方の方言で鉄道下を潜る隧道を意味する。 
 1888年に造られた。鉄道工事に用いられていた工法という。隧道の天井はアーチ状になっており、煉瓦は水平方向ではなく、螺旋状に捻じって組まれている。隧道は、土盛に対して斜め方向に掘られている。土盛に対して直交させることで、アーチへの荷重を地盤に垂直にさせ、強度を確保するための工夫という。北垣国道揮毫「雄観奇想」、反対側には「陽気初處」の石額が掛かる。
◆慰霊碑 1902年に田邊朔郎が私費で建立した「殉職者慰霊碑」が、インクライン跡を登りきった一角にある。「一身殉事 萬戸霑恩(いっしんことにじゅんずるは ばんこおんにうるおい)」の銘、裏には事故死、病死した疏水工事殉難者17人の名が記されている。自死したポンプ主任・大川米蔵の名もある。
 下請の犠牲者、囚人労働の犠牲者も含めると、実際の犠牲者はさらに増えるといわれている。
◆義経地蔵 「殉職者慰霊碑」の左に「蹴上義経地蔵(義経大日如来)」が祀られている。蹴上の地名由来になったという伝承が残る。
 源義経(牛若丸、遮那王)が金売吉次に伴われた奥州下りに際して、美濃の関原与市と出合った。与市の従者が誤って湧水を蹴り上げたため、従者と与市ら9人が斬られたという。義経は9体の地蔵を安置し、供養したという。
◆疏水周辺 疏水の水は、山県有朋の別荘無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園などにいまも流れている。かつては京都御所にも送られていた。
 内国勧業博覧会・平安遷都千百年紀年祭(1895)会場跡地の現在の岡崎公園一帯には、文化施設が複数建てられている。疏水沿いの散策道は、サクラなどの名所となっており、東山の景観とともに新しい都市景観を生み出した。
◆鴨川運河 鴨川運河は、1890年に測量が始まり、1892年に設計変更し、第1疏水工事(以南、鴨川運河)が始まる。1894年、第1疏水工事(以南、鴨川運河)が終わる。1月、伏見インクラインが着工になる。9月、鴨川運河が開通し、1895年、1月、鴨川運河の舟運が始まる。3月、インクラインが完成している。
 落合-七条(3.34km)には13mの高低があり、8か所の閘門が設けられた。伏見堀詰には、インクラインが設けられ、1895年-1943年に利用された。この鴨川運河により、大津、京都、伏見の舟運は結ばれた。1914年、墨染発電所が完成している。
文学 田宮虎彦(1911-1988)の『琵琶湖疏水』では、鹿ケ谷の下宿に集う三人の学生の最期が描かれる。
 菊池寛(1888-1948)には、『身投げ救助業』がある。かつて、冷泉橋付近は身投げの名所になっていた。橋の袂で土産物屋を開いている老婆は、これらの自殺者に長い竿竹を差し出して次々に救助していた。だが、命を救われた者は誰一人として感謝しなかった。ある時、老婆自身が身投げをする。幸いに助けられたが、恥ずかしさと憤りにかられ、以後、身投げ者を助けることはなかったという。
 大岡昇平(1909-1988)『黒髪』にも琵琶湖疏水が出てくる。中谷孝雄(1901-1995)『春の絵巻』には岡崎が登場する。
◆映画 1934年、8ミリの短編記録映画「疏水 流れに沿って」(20分)が弁護士・能勢克男により撮影された。その後、特高警察、戦後は進駐軍により押収された。1976年に発見された。インクラインの様子などが記録されており、貴重な資料になっている。
◆観光船 例年3月下旬の桜の頃、「岡崎桜回廊 十石舟めぐり」(3月29日-5月6日)が催されている。琵琶湖疏水記念館-夷川ダム間の1.5km(25分)を水上から花見をする。
 現在、琵琶湖疏水に観光船を就航させようという滋賀と京都の市民グループの活動がある。計画では、かつてのように琵琶湖から夷川発電所までの疏水約9kmを通船し、インクラインの復活も求めている。
◆花暦 岡崎公園には、1700本の桜があり、疏水一帯は桜の名所になっている。
◆琵琶湖 日本最大の湖・琵琶湖は、面積670平方キロメートル、最深部104m、貯水量は275億立方メートルで近畿1400万人の水瓶になっている。世界で3番目に古いという400万年の歴史がある。断層による窪地に水が溜まってできた。動植物は1000種以上、固有種も60種ある。
 かつて水質汚濁、富栄養化、湖岸の水生植物減、外来種問題、近年では地球温暖化にともなう冬場の湖水の全循環が機能せず、湖底の酸欠、水質低下低酸素傾向などの課題もある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『よもやまばなし 琵琶湖疏水』『琵琶湖疏水 指導資料集』『琵琶湖疏水 明治の大プロジェクト』『琵琶湖疏水の散歩道』『琵琶湖疏水の歴史散策』『京をわたる 橋がつなぐ人と暮らし』『京の下水道 第14版』『京都市下水道史』『みやびな川編 琵琶湖疏水』『洛東探訪』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 中』『京都の地名検証 3』『大学的京都ガイド こだわりの歩き方』『鴨川・まちと川のあゆみ』『京都・観光文化 時代MAP』『文学散歩 作家が歩いた京の道』『京都の映画80年の歩み』


   琵琶湖分線      京都御所       白河南殿跡               

夷川水力発電所

夷川舟溜と東山

夷川舟溜、疏水の開通当時、周辺には水車動力の精米所、紡績、煙草工事などがあった。

府知事・北垣国道(1836-1916)像、夷川舟溜、第二次世界大戦中は金属供出となり撤去され、戦後に再建された。

南禅寺舟溜付近、以前に比べて水の透明度は落ちたといわれている。この付近には、ブラックバス、ブルーギルもいる。

琵琶湖疏水記念館、琵琶湖疏水について資料も豊富で、わかりやすく解説されている。

南禅寺舟溜付近、左奥、鴨東運河、右手は京都市動物園

鴨東運河

ペルトン式水車、蹴上発電所で20台が設置された。出力90kW。琵琶湖疏水記念館

米国スンタレー式動力用発電機、旧蹴上発電所4号機。出力60kW。琵琶湖疏水記念館

疏水計画の発端になった田邊の卒業論文草稿、右手を負傷し、左手だけで製図、測量して書き上げた。琵琶湖疏水記念館

インクライン

インクライン両勾配式、複線になっている。廃止された市電の敷石が敷かれている。現在はサクラの名所でもある

インクライン頂部の蹴上舟溜

艇架台(台車)

水中滑車

日ノ岡第三トンネル西口

旧九条山ポンプ場

田邊朔郎博士銅像、青年期の田邊像で、市民の寄付で建てられた。蹴上疏水公園

山ノ内浄水場導水管、疏水公園、ダクタイル鋳鉄菅といわれ、浄水場への導水に利用されている。直径は1.65m

殉職者之碑

田邊が私費で建立した弔霊碑。

田邊朔郎の墓(左)、妻静子(北垣国道の長女)とともに眠っている、大日山墓地

「ねしじりまんぽ」、三条通から南禅寺へ通じている。

「ねしじりまんぽ」の内部、レンガは斜めに、螺旋状に積まれている。

「ねしじりまんぽ」

「ねしじりまんぽ」の「雄観奇想」の石額

「ねしじりまんぽ」の「陽気初處」の石額

第二期蹴上発電所

導水管

疏水分線、南禅寺・水路閣方面へ北方角(鴨川の流れと逆方向)に流れている。

南禅寺・水路閣の上、文字通り水路が走り、哲学の道へ向かう。

蹴上浄水場

【参照】伏見区を流れる疏水


【参照】琵琶湖疏水の終点にある墨染発電所(伏見区)
 琵琶湖疏水 

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