大将軍神社(西賀茂大将軍神社)・正受寺 (京都市北区)
Taishogun-jinja Shrine
大将軍神社(西賀茂大将軍神社) 大将軍神社(西賀茂大将軍神社) 
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拝殿、割拝殿の形式は珍しいという。


拝殿


本殿


本殿


本殿



 西賀茂(にしがも)にある大将軍神社(たいしょうぐん じんじゃ)は、西賀茂の産土神になる。西賀茂大将軍神社とも呼ばれている。
 主祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)。ほかに4柱が祀られている。
 大将軍とは素戔鳴尊、また、陰陽道の星神の一つともされる。境内のおもな末社は、片岡神社、貴船神社、角神社、稲荷神社など。
 方位・方除(ほうよけ)、家族・一族・会社・地域守護、縁結び・良縁祈願、山仕事・登山安全・海上安全、必勝祈願、病気平癒・家畜・ペット守護、安産、寿命長寿などの信仰篤い。 
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 かつて、西賀茂の産土神(うぶすながみ、鎮守神)として祀られていた。
 平安時代、794年、平安京遷都の際に、王城鎮護のために、都の四方の隅に、それぞれ大将軍が創建され祀られた。大将軍は、陰陽道の四方を糺す方除の神であり、当社もそのひとつとみられている。角社(すみのやしろ)とも呼ばれ、方違(かたたがえ)の神が鎮座した。
 室町時代、1290年頃、1300年頃、尼寺・正受寺が二位禅尼により瓦屋に整備か創建された。当社は鎮守社となる。(「正伝寺文書」「大宮村庶務一件」)。
 1451年、当社の文献初見になる。2反の田を有した。(「上賀茂神社検地帳」)
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)以降、当社は上賀茂神社と深いかかわりを持った。
 江戸時代初期、正受寺は当社の南にあった。
 寛文年間(1661-1672)、1671年、1672年とも、正受寺は正伝寺境内に移転する。以後、当社は、正伝寺と関わりを持つ。この頃、今原、鎮守庵、総門、田尻の4地区氏神となる。(田尻「小島家古文書」)
 1628年、寛永年間(1624-1645)とも、上賀茂神社の片岡社本殿が移され当社本殿になる。(「小島家文書」)
 享保年間(1716-1736)、貴布祢神社より打覆、鳥居木を譲られる。上賀茂神社より鳥居木を譲られるともいう。(「小島家文書」)
 安永年間(1772-1781)、片岡社の古殿を譲られる。(「小島家文書」)
 1776年、上賀茂神社の片岡社より打覆(うちおおい)を譲られる。(「小島家文書」)
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)末、当社の秋祭りに正伝寺が参加している。
 現代、1984年、本殿は、京都市指定文化財に指定される。
 1985年、境内が京都市の「大将軍神社文化財環境保全地区」に指定される。
 1997年、放火により本殿、覆屋の一部が損傷した。その後、修復される。
◆大将軍 大将軍は、もとは古代中国からもたらされた。日本の陰陽道では、金星(太白星)に関連する星神とされ、四方を司る神とされた。大将軍は3年ごとに移動するとされ、12年で一巡し四方を正すとされた。その間、その方角で事を行うと三年塞がりと呼ばれ、凶になると怖れられる祟り神であり、諸事が忌まれた。ただ、遊行日が定められており、その間は凶事が回避された。
 平安京には、都の四方に大将軍神社が置かれている。東は東三条大将軍社、西は大将軍八神社、南は藤森神社境内大将軍社、北は今宮神社境内大将軍社、あるいは西賀茂大将軍神社、江戸時代以前には大徳寺門前にもあり、今宮神社に遷されたともいう。異説もある。また、祇園社境内にもあったともいう。
 以後、大将軍信仰は全国的に広まった。平安時代中期から鎌倉時代にかけて盛んとなり、天皇から庶民にいたる信仰を集めた。
◆角社 角社(すみのやしろ)は、方違(かたたがえ)の神が鎮座した。須美社(すみのやしろ)とも記された。「すみ」について、賀茂建津身命(かものたけつのみのみこと/かもたけずみのみこと)に因むともいう。
 都の四方に大将軍神社が置かれ、この地は西北隅にあったため、隅(すみ、須美)になったともいう。
◆瓦屋・瓦屋寺・正受寺 当社の近くには、かつて瓦屋の窯跡(瓦窯<がよう>)がある。平安時代前期(9世紀前半)、朝廷の『延喜式』木工(もく)寮に属した西賀茂瓦屋(西賀茂瓦窯址群)があり、官衛(かんが)御用の瓦を焼いていた。そのため、当社は瓦屋守の鎮守社であったともみられている。
 近年の平安博物館などの発掘調査によると、東に3基、西に4基、その西方に3基の窯跡が見つかっている。角社町窯は内部に火道のあるロストル式平窯といわれるもので、長さ1.5m、幅2.2mあり、平瓦800枚から1000枚を焼くことができた。
 出土した遺瓦は、大内裏跡で発見されたものと同じで、東寺、西寺の瓦も造られたとみられている。遺瓦は神光院に所蔵されいる。
◆正受寺 この地に瓦屋が存在したため、地名も瓦屋と呼ばれた。地域にある寺を「瓦屋寺」と称した。瓦屋寺としては、神光院とともに、この地域には正受寺(しゅうじゅじ)があった。後に西賀茂大将軍神社は、正受寺の鎮守社として位置付けられる。
 室町時代、1290年に円典が正受寺を建立したともいう。1275年に創建されたともいう。当初は烏丸今出川にあったともいう。
 1300年頃、瓦屋に二位禅尼により尼寺・正受寺が創建されたともいう。創建は円典による。また、開山は東厳という。二位禅尼は、当初、瓦屋に菩提心院(発菩提心院)を創建する。後に寄進し、正受禅寺と改めたという。「瓦屋の尼寺」とも呼ばれたという。
 西賀茂大将軍神社は寺の鎮守社になる。寺は中世(鎌倉時代-室町時代)に栄えた。安土・桃山時代、1580年の大徳寺での一休百回忌には、正受寺は多額の寄付を行う。江戸時代初期、正受寺は当社の南にあった。寛文年間(1661-1672)、1671年、1672年とも、正伝寺境内に移転する。男性僧の寺院に変わる。近代、1887年、火災により焼失した。
◆二位禅尼 室町時代の尼僧・二位禅尼(生没年不詳)。詳細不明。賀茂社祠総官・森経久の娘。1290年、宮中に上がり「備后」の位になる。その後、宮中を去り、剃髪し二位禅尼と号した。瓦屋に菩提心院を建立して住した。正受寺の開山・円典に帰依する。二位禅尼は、菩提心院を寄進し、正受禅寺と改めた。諱(いみな)は正受という。大将軍社を信仰し、当社の社僧を兼務していた。
◆建築 「本殿」は、覆屋内にある。江戸時代(1628-1636)、寛永年間(1624-1645)に、上賀茂神社の摂社・片岡神社の本殿が、釣燈籠(金燈籠)、太刀袋、戸帳とともに移築された。装飾の少ない安土・桃山時代、1591年造営になる。1667年に修復される。一間社流造は、賀茂社の建築様式を色濃く残しており、現存する賀茂上下社中では最古の貴重な建築物になる。1959年に京都市の指定有形文化財に指定された。
 「拝殿」の建築年は不明。割拝殿、ただ南側中央部は土間、北側は西へ直角に折れており、西側へ出る様式になる。このため、南北へ通り抜けることはできない。これは、祭事の田田可可(でんでんかっか)のためという。麦藁葺、金属板で覆う。
◆文化財 本殿手前の石灯籠は、江戸時代、寛永年間(1624-1645)になる。
◆環境保全地区 社殿、鎮守の森を含め、京都市文化財環境保全地区(1985)にも指定されている。
◆年間行事 元旦祭(1月1日)、春祭(4月29日)、大祓式(茅の輪くぐり)(6月30日)、虫送り(土用)、八朔祭(9月1日)、例祭(旧今原村、鎮守庵村、総門村、田尻村の旧四か村が交代で奉仕する。)(10月23日前後)、御火焚き(11月23日)、大払祓式(12月31日)。
 月次祭(毎月第1日曜日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『日本の古代遺跡28 京都Ⅱ』『京都の寺社505を歩く 下』『京都大事典』『西賀茂大将軍神社とその祭礼行事』『昭和京都名所図会 3 洛北』


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角社(すみのやしろ)(素戔嗚尊、すさのおのみこと、疾病の神) 

右より稲荷神社(宇気母智神、うけもちのかみ、商売繁盛の神)、貴船神社(高おかみ神、たかおかみのかみ、水の神)、片岡神社(事代主神、ことしろぬしのかみ、お祓いの神) 

右より愛宕神社(火之迦具土神、ほのかぐつちのかみ、火の神)、松尾神社(大山咋神、おおやまぐいのかみ、醸造の神)、八幡神社(応神天皇、おうじんてんのう、厄除けの神)、春日神社(天兒屋根命、あめのこやねのみこと、藤原氏の神)、山王神社(大山咋命、おおやまぐいのみこと、山の神) 
        
 大将軍神社 〒603-8845 京都市北区西賀茂角社町(すみやしろちょう)129  075-491-6623
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