雲ヶ畑界隈 (京都市北区)
Kumogahata

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出雲造りの千木屋根、茅葺の民家も今はほとんど残っていない。この屋根も金属板(トタン)で葺かれている。




雲ヶ畑川


かつては茅葺だったという入母屋造りの民家、破風の「水」の字は、火伏せまじない、火災除けの願いが込められている。


「鴨川起点」の表示板は、京阪バス「白梅橋」近くの雲ヶ畑川に設置されている。写真の上から二段目の堰の中ほどにある。ただ、民有地のため、表示板に近づくことはできない。(2009.10)
 京都市内中心地から北へ15kmほどの山間に、雲ヶ畑(くもがはた)はある。標高400mにあり、戸数は80戸、300人足らずの小さな集落となっている。中津川町、中畑町、出谷町の三集落がある。地場産業の林業の依存度は高い。 
 地域の過疎化と少子化が急速に進行している。2010年度に地元の雲ヶ畑小中学校、2011年度に小学校も廃校になった。
◆雲ヶ畑 平安時代、弘仁年間(810-824)、丹波国桑田郡山国村から山城国葛野郡小野郷に編入された。また、江戸時代、1697年、葛野郡から愛宕郡へ編入となった。
 雲ヶ畑の地名の由来について、「山州名跡志」には、その昔、薬王菩薩が岩屋山に降臨し、衆生の病苦を救うために薬草を植えた。それらの花々が、あたかも紫雲のように花開いたことから雲ヶ畑となったとする伝承説がある。
 さらに、かつて「出雲ヶ畑」と呼ばれ、それが「雲ヶ畑」に略されたとする説がある。出雲族が丹波から難波へ行く途中で、この地に住みついたことに由来するという。実際に、このあたりの家屋の屋根には、かつて出雲造りの千木屋根の葛屋葺が見られた。これらは、出雲から丹波地方に多く見られるという。
 また、「畑」については、渡来系の秦氏族との関係を指摘する説もある。この地域には、「波多野」「秦」の姓が今も残り、同族的集団「チョウ」を形成している。「秦チョウ」では、同族神・秦大明神(天御中主尊)を祭祀している。
 毎年8月24日には、この地の愛宕山で松上げ神事が行なわれ、松葉で漢字一字が点される献火行事が知られている。
 なお、賀茂社葵祭で使われる二葉葵は、この地に自生しており、ここで採取されているが、年々その数が減ってきているという。ちなみに、十三石山の地名の由来は、中世の頃、里と上賀茂神社の間で土地争いが起こり、村が米十三石で譲ったことによるという。
◆水源 雲ヶ畑を流れる雲ヶ畑川(小野川)は、鴨川の源流として、水源地の御用川として大切に保護されてきた。雲ヶ畑は、禁裏御用地として、御所へ水が送られるとともに、御用鮎が御所に献上されていた。
 鴨川の水は平安京の「禁裏御用水」として利用されてきた。禁裏御用水とは、鴨川上流から御所へ直接引かれていた特別な水路のことで、御所の生活、防火、庭園用などの多目的用水として管理されていた。水路は、明治期(1912)に近代的な「御所水道」が完成するまで使用され続けた。
 京都御所には、いまも「御溝水(みかわみず)」という小川が引かれている。これは、室町時代中期より、鴨川上流から引かれ相国寺、今出川、京都御苑、御所内を流れていた。
 水源地の水を守るために、上流部の谷筋で死者を葬ることも忌まれた。遺体は、峠を越えた真弓に運ばれたことから、里の西にある「持越峠」の名が生まれたという。
 大正期までは、御所から下付された「水守」(みずもり)という源流河川の監視役が置かれていた。
 雲ヶ畑は、平安遷都の頃、御用林のために開拓されたと伝えられている。山林は、都の造営の際の用材、御所、無量寿院の用材なども供出した。旧小野郷は、中世には主殿寮領、近世からは仙洞御所の領地、禁裏御料地となっていた。
 現在もなお、雲ヶ畑一帯の森林は、水源かん養保安林に指定され、保護されている。ただ近年、山にもさまざまな変化がおきている。植林された森、雑木林も山の手入れが行き届いていない所もある。山の保水力が弱くなっており、川の水量も昔に較べて減っているという。また、下流の鴨川流域には、産廃場、ゴミの不法投棄などが散見される地域もある。
◆名石 名石として知られ、庭石として重宝された「加茂の七石」としては、賀茂川上流の「紅加茂石」「雲ヶ畑石」が知られている。


*参考文献 『鴨川千年涙川』『京都地域研究 VOL.10』


  鴨川源流・支流河川      志明院      厳島神社       京都御所      福蔵院       高雲禅寺         



雲ヶ畑川と段々畑

茅葺の家

閉校した雲ヶ畑小学校、中学校

雲ヶ畑旧小学校、旧中学校

国の特別記念物オオサンショウウオ?、2011年5月、鴨川上流某所。体長は80㎝くらい。遺伝子検査でしかはっきりとは分からないが、固有種は茶の体色に黒い斑点が鮮明だという。なお、鴨川に生息するオオサンショウウオのすでに87%は交雑種だという。(2012年時点)

2010年8月、鴨川中流域で確認した個体。固有種は頭の部分が平たくおおきいが、これは細く小さい。中国種は斑点が薄く、まだら状に広がるという。外来種かもしれない。

料理旅館の洛雲荘

洛雲荘の床、祖父谷川に置かれている

洛雲荘

北山杉


熊出没注意の看板。


持越峠・真弓方面へ向う道、橋は鴨川の最上流にかけられている。
 雲ヶ畑 京都市北区雲ヶ畑  
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