鴨川納涼床 (京都市中京区)
Kamogawa Noryo-yuka

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四条大橋から北西方向、光の帯は床、川面は鴨川


四条大橋付近、みそそぎ川上に設置された納涼床、右は鴨川



御池大橋付近、みそそぎ川は鴨川の水が取り入れられている。付近ではゲンジホタルが生息し、餌となるカワニナも見られる。





 京の夏の風物詩となっている鴨川納涼床(ゆか)は、正確には鴨川西岸の河川敷を流れている、全長2キロ余りの人工水路「みそそぎ川」の上に設置されている。なお、みそそぎ川は鴨川から取水されており、高瀬川と同じく鴨川の分流になる。
◆歴史年表 室町時代、にすでに、鴨川の河原での夕涼みが行われていたという。 
 また、安土・桃山時代、豊臣時代(1580-1590)、裕福な商人が、夏場に遠来の客をもてなすのに、四条、五条河原付近の浅瀬に床几を置いたのが始まりだともいう。その際には、中洲に板の小橋を渡し、浅瀬に床几が置かれていた。
 江戸時代、1803年、滝沢馬琴『壬戍羇旅漫録』(じんじゅつきりょまんろく)には、鴨川二条、四条、糺河原での、納涼床の様子が書かれている。茶屋、酒屋が店を出し、また、河原で持参した弁当を開いた。河原では、義太夫、大弓揚弓見せなどの見世物も出て賑わった。
◆祇園祭 年中行事となった「四条川原涼み」は、疫神送りの祇園会(旧暦6月1日-6月17日)と深く関連している。その期間は、先の神輿洗いの翌日から、後の神輿洗いの前日までとなっていた。かつては、この期間中に限られていた。
 床は、河原、河川敷にまで所狭しと並べられ、提灯が灯された。酒や鰻の蒲焼などが供され、人々は糸竹を鳴らし、歌をうたい、詩を吟じた。
◆近代以降 納涼床は明治以後も引継がれる。7、8月には、現在の高床式ばかりではなく、床机形式の低い床も置かれた。これらは鴨川のせせらぎの上に直接開かれていた。そのため、鴨川の増水時には被害があり、その後中止になっている。
 琵琶湖疏水(1894)の完成後、高床式は東岸では中止となった。中州も、1911年に四条大橋に市電が開通した後は中止となっている。
 昭和10年大洪水(1935)の後は、鴨川の補修工事によって、新しく造られた水路「みそそぎ川」(賀茂川の別称、みそぎがわ、禊川)の上に、納涼床を設けるようになる。第二次世界大戦中は一時中止となり、戦後(1950)に復活した。
◆管理 床の設置には、鴨川を管理している京都府京都土木事務所による、河川敷の占用許可申請が必要となる。これらは、お茶屋の集まりである「鴨涯(おうがい)保勝会」により申請される。
 床の設置のためには決まりごとがある。特に、景観を損なわないために、床の材質・形状、日除けの材質・形状、照明の明るさ、屋根の設置は禁止、歌舞音曲・看板広告の禁止などの細かい取り決めがある。
 なお、成立した京都府「鴨川条例」(2007.7)では、鴨川・高野川の環境、景観保護のための施策が具体化される。この中で、床の設置に対しても、規制強化が行なわれる。
◆営業 二条大橋から五条大橋間に、例年80軒余りの床が出される。期間は5/1-9/30。5月中は「皐月(さつき)の床」、6/1 -8/16は「本床」、8/17-9/30は「後涼み」と呼ばれる。夕方から夜11時までの時間帯で営業され、一部は、昼間も開いている。
 料亭やお茶屋、旅館による旧来の京料理、和食などだけではなく、フランス、イタリア、中、韓、タイなどの店もある。また、椅子とテーブル形式のレストラン、ショットバーやカフェのように、新しい"床"の形も増えてきた。
◆他の床 市内の床としては、ほかに、貴船・貴船川の「川床」、鷹ヶ峯・紙屋川の「しょうざん渓涼床」、高雄・清滝川の「川床桟敷」、雲ヶ畑・祖父谷川の洛雲荘にもある。


*参考文献 


  二条大橋       三条大橋      四条大橋      五条大橋      みそそぎ川          

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 鴨川納涼床
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