加茂七石庭 (京都市東山区)
Kamo-nanaishi-tei (garden)

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1 紫貴船石


2 鞍馬石


3 畚下石


4 紅加茂石 


5 雲ヶ畑石
 鴨川では、古くより「加茂七石」(加茂川石)といわれる銘石を産した。庭石、水石などに用いられ、文人により愛でられた。 
 三十三間堂の斜め辻向かい、七条通大和大路の通りに面して、「加茂七石庭(かもなないしてい)」という小さな庭園が造られている。平安建都千二百年記念事業として作庭された。かつてこの付近には、鎌倉幕府の出先機関であった六波羅探題北方が置かれていた。
◆水石 水石の歴史は、南北朝時代より始まったともいわれる。名の由来は、茶席などに供された「山水石」に由来するともいう。かつて、中国から伝来した。日本では、水盤に置かれた一つの石の形により、また色は「真黒」が好まれるなど、「わび」「さび」世界を具現する独自の発展を遂げた。水石は、自然の風景を表した「風景石(山水景情石)」、何らかの形を表した「姿石(すがたいし)」、模様を表した「紋様石(もんようせき)」に大別され、それぞれがさらに細分されている。
◆加茂七石 加茂七石は一般的に、鴨川上流の「紅加茂石」(チャート)、「雲ヶ畑石」(チャート)、貴船川の「貴船石」(緑色岩類)、「畚下(ふごおろし)石」(チャート)、鞍馬川の「鞍馬石」(石英閃緑岩/花崗閃緑岩)、静原川の「賤機(しずはた)石」「賤機糸掛石」(珪石)、高野川の「八瀬真黒(まぐろ)石」(泥質岩の接触変成岩・ホルンヘルス)の7つをいう。現在は、どれもほとんど産していない。
 ちなみに畚下石の畚(ふご)とは、藁などで編んだ籠のことを意味している。中近世、鞍馬山で売られていた名産品の火打石の商いには、崖上と里の間で、この畚に石と銭を入れてやり取りしていたことによる。
 江戸時代の愛石家としては、小堀遠州、細川幽斎、石川丈山、木内石亭、頼山陽、田能村竹田、近代では富岡鉄斎など数多い。水石家にとって、加茂川石は最高級のものとして扱われた。
 石は北山山地を母体とし、鴨川水系と高野川水系の二つがある。これらの石の成立は、2億年前の中生代三畳紀とみられ、海底の沈積した土砂や礫、海底噴火の溶岩、火山灰、さらに生物の死骸(サンゴ、ウミユリ、ボウスイチュウ、放散虫)などによるチャートなどが混じる。観賞されるのは、堆積岩、変成岩が主で、また深成火成岩なども一部にある。
 京都の地学・鉱物学研究者・益富寿之助博士(1901-1993)の分類によれば、「加茂川石」は10種あるという。①水石名「八瀬真黒石」(さらに本真黒石、蛇ぐれ、青加茂など3種)、②「八瀬巣立ち」(梅林石など2種)、③「八瀬こぶ真黒石」、④鴨川支流賤機の「賤機糸掛石」、⑤「鞍馬石」(本鞍馬、米鞍馬、鬼鞍馬、金鞍馬、黒鞍馬、栗鞍馬など6種)、⑥「貴船石」(柴貴船、青貴船、五色貴船など3種)、⑦貴船口・鞍馬の「畚下(ふごおろし)石」、⑧「雲ヶ畑石」、⑨雲ヶ畑の「紅加茂」、⑩鞍馬・花背の「古道真黒」。
◆庭園 加茂七石を使った庭園としては、元離宮・二条城の清流園がある。1965年に、旧角倉了以邸の屋敷遺構などを利用し、また各地の名石が集められ、茶室前に和洋折衷式の庭園が作庭されている。
 また、京都御苑内に開館した京都迎賓館(2005)の庭園でも、加茂七石が使われている。七石の一つ「真黒石」は、予定地の掘削工事で出てきたものを使用している。
◆石材 京都で産した庭園の石材としてほかに、玉石の「鴨黒」「大井川石」「紙屋川石」「白川御影」「浄土寺石」「白川砂」「高野川の砂利」「鴨川の砂利」などが名石・材として知られている。18世紀以後、これらの庭石は貴重な京都産として江戸に集められていた。


*参考文献 『京の加茂川石図鑑』『京都の自然ふしぎ見聞録』


           三十三間堂       豊国神社         山紫水明処       鞍馬寺        二条城               

6 賤機石

7 八瀬真黒石
 加茂七石庭 〒605-0947  京都市東山区七条通大和大路
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