西賀茂橋,Nishigamo-bashi Bridge,Kyotofukoh




西賀茂橋 (京都市北区)
Nishigamo-bashi Bridge

 Home  Home

独特の橋の曲線美、船山など背後の山との相似性と調和色調は青灰色。




波を象る欄干の光琳模様


主桁と橋脚、桁
 鴨川の上流、北に北山、北西に五山送り火の一つ「船形万燈籠」の船山(西賀茂舟山、妙見山)を望む地に、西賀茂橋は架かる。 
◆歴史年表 現代、1991年、橋は完成した。
◆設計 現在の西賀茂橋の架設年は1991年になる。橋種は3径間連続鋼プレートガーター(床板RC床版部+鋼床版部)になる。橋長78m、幅員15m。
 橋の設計は、建築家・川崎清(1932-)による。周辺の自然景観との調和をはかるために、独特の曲線美と青灰色の抑えた色で構成されている。護岸は川へ降りることのできる階段式になる。小さな飛び石も橋の上と下に設けられ、親水性が見られる。
 欄干は、江戸時代中期の京都の絵師・工芸家の尾形光琳(1658-1716)の描いた波のイメージ、「光琳模様」風の意匠になっている。光琳には鴨川を描いた元禄の頃の焼物「橋と加茂川図水指」(住友資料館)がある。背部には弟・乾山の和歌「すみわたる 空にもみぢの色はえて 加茂のながれに 秋わきにけり」が書かれている。
◆尾形光琳 江戸時代前期の画家・尾形光琳(1658-1716)。京都の呉服商・雁金屋(かりがねや)の尾形宗謙の次男。弟は陶芸家の尾形乾山、曾祖父・道柏の妻は本阿弥光悦の姉。少年時代から能楽、茶道、書道などに親しんだ。父、山本素軒より狩野派の画法を学んだ。1687年、父の遺産を相続する。35歳頃より光琳と称した。30歳代の終りより画家となる。1701年、法橋に叙せられた。1704年、江戸に一度出る。「中村内蔵助像」を描く。1709年、京都に戻る。作品に、繰り返される絵柄で構成された「燕子花図屏風」(国宝、18世紀前半)。宗達を模写し、宗達の「風神雷神図屏風」を意識した傑作「紅白梅図屏風」(国宝、18世紀前半)などがある。本格的な画業を始めたのは、晩年の20年ほどだった。屏風絵のほか、香包、扇面、団扇、小袖、蒔絵、水墨画など幅広く手がけている。妙顕寺興善院に葬られた。
◆川崎清 現代の建築家・川崎清(かわさき きよし、1932- )。新潟県生まれ。1958年、京都大学大学院研究科建築学専攻博士課程退学、1964年、京都大学工学部助教授、1970年、大阪大学工学部助教授、1972年、大阪大学工学部教授、1983年、京都大学工学部教授、1988年、建築業協会賞受賞。1996年、立命館大学理工学部教授、京都デザイン賞受賞。設計に日本万国博覧会美術館、京都大学文学部博物館など。環境・建築研究所主宰。


*参考文献 『京の橋ものがたり』『京都水ものがたり 平安京一二〇〇年を歩く』
 

        御薗橋             


より大きな地図で 鴨川の橋 を表示
map 西賀茂橋 京都市北区上賀茂朝露ケ原町付近
  Home     Home  
  © 2006- Kyotofukoh,京都風光 http://www.kyotofukoh.jp