賀茂祭(葵祭) 前儀式
Kamo-matsuri Festival (Aoi-matsuri Festival)


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フタバアオイ(下)とカツラ




 鴨川とゆかりの深い上賀茂神社(上社)と下鴨神社(下社)の祭礼・賀茂祭(葵祭)には、さまざまな「前儀式」が執り行われている。約二週間の神事、祭事の後に、15日の葵祭(路頭の儀、上社・下社の社頭の儀)を迎える。よく知られている路頭の儀は、この祭りの一部分でしかない。 
 また、祭りの随所で馬が関わり、重要な意味を担っている。これは、祭礼が、騎射、流鏑馬など、神人が面をつけ葛をつけて走り、豊饒祈願の祭りを行なったことによる。

おもな催し 日時など変更される場合があります。

4月14日 斎王代発表
17日 斎王代、下鴨、上賀茂両神社参拝、櫟谷七野神社で献茶
4月26日 葵使 上賀茂神社、上賀茂小学校から静岡市立葵小学校へフタバアオイが贈られる。

5月1日 午後1時頃 上社・競馬会足汰式(くらべうまえあしぞろえしき)、午後1時 下社・献香祭(閑院流家元奉仕)
3日 午後1時半頃 下社・流鏑馬(やぶさめ)神事
4日 午前10時 上社・下社で隔年で行なわれる斎王代御禊(ぎょけいのぎ)の儀、午後1時 下社・古武道奉納(日本古武道振興会奉仕)、
5日 午前11時 下社・歩射(ぶしゃ)神事(小笠原同門会奉仕)、午後2時 下社・少年剣道演舞奉納、薙刀演舞、詩吟奉納、
午前8時45分頃 上社・菖蒲根合わせの儀、午前10時 上社・本殿祭、午後1時 上社・競馬会の儀、午後2時頃~3時頃 上社・競駈
6日 午前8時 下社・更衣祭(非公開)、午前11時 献花祭(遠州正風宗家奉仕)
12日 午前9時 下社・御蔭祭(下鴨神社→正午頃 御蔭神社→賀茂波璽神社→3時半頃 下鴨神社)、
 午後2時半 上社・御禊の儀、午後3時 上社・御掃除祭(おそうじさい)、午後3時 上社・神御衣献進祭(かんみそけんしんさい、非公開)、夜半 上社・御阿礼神事(みあれじんじ、非公開)
14日 午前10時 下社・琵琶湖堅田供御人行列・鮒奉献
15日 
賀茂祭(葵祭)、午前11時40分 下社・賀茂祭行粧到着・社頭の儀、午後1時15分 下社・走馬の儀・狂言奉納、午後3時半頃 上社・賀茂祭行粧到着、社頭の儀、走馬の儀
17日 午前10時 上社・献茶祭(裏千家家元奉仕)
19日 午前10時 下社・献茶祭(武者小路千家家元奉仕)
20日 午前10時 下社・小川流煎茶献茶祭(小川流家元奉仕) 

*参考文献 『下鴨神社今昔 甦る古代祭祀の風光』『日本の古社賀茂社 上賀茂神社・下鴨神社』『神の游庭(かんあそひのゆにわ)』『葵祭の始原の祭り 御生神事 御蔭祭を探る』『葵祭(賀茂祭)』『京都の三大祭』『京都・山城寺院神社大事典』


 賀茂祭(葵祭)      上賀茂神社    下鴨神社     賀茂波璽神社    御蔭神社                   
                
(*日程、内容は変更されることがあります。神事は非公開のものもあります。)

下社

下社

上社

上社
:競馬足汰式(くらべうまあしぞろえ) 5月1日 上社 

競馳
 平安後期(1039、1093とも、889とも)から「賀茂競馬」が行われるようになったという。
 4月下旬に「籤取り」により黒一番、赤一番以外の乗尻(のりじり、騎手)と馬が決まる。足汰式(あしぞろえ、足汰之儀)では、沢田川で「お鞭洗之儀」が行われ、ならの小川で、水につけた鞭により衣服と足袋を清める。「毛附之儀」で馬の状態を確かめ、足を清める。
 馬にはそれぞれ、かつての神領の名がつけられている。旧社家の人々により奉仕される乗尻は、烏帽子(えぼし)に浄衣(きよぎぬ)、奴袴(やつこばかま)のいでたちをしている。
 その後、境内にある馬場(約400m)で、乗尻が乗馬し、馬が1頭ずつ走る素駆(すがけ)、二頭による競馳(きょうち)も行う。この試走によって、馬の体調、速さなどが見られ、本番である5日の競馬会競馳の番立(ばんだて)、組み合わせが決定される。

ならの小川、乗尻の足袋を清める。

馬場の低い囲いである埒(らち)、柴垣埒ともいう。榊の枝を用いている。もとは「低い垣」のことを意味したという。春日大明神祭礼では、この埒により中にはいることを制していた。そのため、埒をひらいて規制を解くことを、「しきりがとれる」から、「物事が順調に運ぶ」意味へ転訛した。逆に、「埒が明かない」とは、「物事が順調にはかどらない」ことを意味した。

ならの小川、馬の足を清める。

素駆
流鏑馬(やぶさめ)神事 5月3日 下社

流鏑馬、公家装束の射手
 流鏑馬神事は、葵祭に先立ち、祭りが平穏無事に行われるように、道中を祓い清める意味がある。
 流鏑馬神事(やぶさめしんじ)の流鏑馬とは、馬を走らせながら、弓を放つと音がする矢鏑矢(かぶらや)を射ることによる。流鏑馬は「やぶさめ」、「やぼさめ」とも読まれ、「矢伏射馬」とも書かれた。流鏑馬と呼ばれるようになったのは、平安時代から鎌倉時代の後鳥羽上皇による当社への御幸以来ともいう。ただ、近代以前、下社では、「騎射(きしゃ)」と呼んでいた。
 騎射の技は、『日本書紀』(457)に古墳時代に「騁射(うまゆみ)」、飛鳥時代、「馬的射(むなまと)」(682)の記述があるという。なお、糺の森からは、古墳時代の馬具が出土している。698年には、賀茂祭での騎射が禁じられたとの記述がある。(『続日本紀』)また、平安時代後期(1096頃)に始まったともいう。騎射の武術は、鎌倉時代には武家社会で盛んに行なわれていた。 
 騎射も過去には幾度が中断している。室町時代、1502年の中断後、江戸時代、1694年に再興される。近代以降、東京遷都にともない、1869年に中断後、1973年の式年遷宮奉祝行事以降に「流鏑馬神事」として復活し、1976年からは恒例化した。
 当日は、糺(たたず)の森に設けられた馬場(全長約500m)で、馬を走らせながら騎手が三つの的をめがけて弓を射る。的は、約100m間隔で置かれ、約50cm四方の杉板で、菱形に置かれ、これを連続して射ぬいていく。この際に、騎手は「インヨー」(陰陽)と掛け声を発し、矢を放す。
 最初の三馳の射手は、いまも騎射といわれ、水干(すいかん)に綾蘭笠(あやいがさ)の公家装束をし、武家の狩装束を着ける。弓馬術は、弓馬術礼法・小笠原流一門によって行なわれている。
 矢が当たれば豊作、所願成就、打ち抜いた的板は縁起もので、当たり的として授与されている。


神事
斎王代御禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ) 5月4日頃(上旬吉日) 上社か下社          

御禊の儀、御手洗池(下社)、下鴨神社では、境内の御手洗(みたらし)池で水に手を浸して身を清める御禊(みそぎ)を行う。
 斎王代御禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)は、毎年、上社と下社で隔年で行われている。
 十二単の斎王代は、祝詞、お祓いの後、御手洗池(下社)か、ならの小川(上社)に両手をひたし身を清める儀式をいう。下社では祓串(いぐし)を、上社では人形(ひとがた)を川に流して穢れを清める。
 斎王代の両脇には、童女が仕える。また、葵祭の路頭の儀の女人列に参列する約40人の女性の身も清める。
 かつて御禊の儀は、鴨川で行われていた。両社の境内を流れる川は、いまも鴨川の源流の一つとなっている。鎌倉時代前期に斎院の廃止と共に中断した。その後、1956年の斎王列復活とともに行われるようになった。
 もとは斎王といい、平安朝時代以来、未婚の内親王が選ばれて奉仕していた。現在は、斎王の代理という意味の斎王代が、京都市在住の未婚女性から選ばれている。
 

下社

下社

上社、斎王代

下社、神事

最後に、下社では祓串(いぐし)を、上社では人形(ひとがた)を
川に流し穢れを清める

上社での御禊の儀橋殿

上社、人形

下社
古武道奉納(日本古武道振興会奉仕) 5月4日 下社

小笠原流一門弓馬術礼法
 全国から集まった二十余派による古武道が奉納され、披露される。特に、流鏑馬神事(やぶさめしんじ)を担っている弓馬術礼法・小笠原流一門による乗馬、弓術が最初に奉納される。

古武道の各派一門による奉納
歩射神事  5月5日 下社

屋越式
 宮中の古式にのっとって行なわれる歩射神事(ぶしゃしんじ)も、葵祭に先立ち、沿道の邪気を祓い、祭りの安全祈願する意味がある。
 神事は、平安時代に宮中で行われていた「射礼(じゃらい)の儀」が始まりともいう。馬上で行なわれる流鏑馬に対し、地上で矢を射ることに由来する。
 儀式は小笠原流によって行われ、四つの式があり、「鳴玄蟇目神事(めいげんひきめしんじ)」と呼ばれる。
 直垂(ひたたれ)姿の射手が弓の弦を鳴らし、天地四方の邪気を払う蟇目(ひきめ)式。次に、楼門の屋根を矢を射て越えさせる屋越(やごし)式。斎庭の大きな的を射る大的(おおまと)式、射手が横に並び、連続的に矢を放っていく百々手(ももて)式がある。


神事

百々手(ももて)式
百々手式
競馬神事・菖蒲根合わせ 5月5日 上社 

菖蒲根合わせ
 競馬会(くらべうまえ)に先立ち、馬場に設けられた頓宮(とんぐう)で「本宮遷御の儀」、本殿祭を行なう。「菖蒲根合わせ」(しょうぶねあわせ、菖蒲の根合之儀)、安全祈願の奉幣の儀などの神事も行なわれる。これらの儀式には、乗尻となる旧社家の人々によって奉仕されている。
 菖蒲根合わせは、かつて内裏の女房によって行なわれていた菖蒲根の長さ較べに由来するという。平安時代、1093年、それまで宮中の武徳殿で行われていた、天下泰平・五穀豊穣祈願の競馬会式が上社で行われた。
 この時、殿上人、女房が左右に分かれ、左方は上社に、右方は石清水八幡宮に勝利祈願したという。左方が勝ったため、報賽(御礼)に、競馬会一式が上社に奉納されたという。
 当日、二人(番)の乗尻は、浄衣に浅黄差貫の衣装を身につける。一番の乗尻は、頓宮の前に進み出、蓬と菖蒲を奉書紙で束ねた互いの根を合わせる。互いの菖蒲の根の長さを比べ交換し、相手の菖蒲を四折りにする。それぞれ菖蒲を頓宮の屋根に投げ、載せる。本殿傍らの棚尾社でも同じく葺く。
 菖蒲は「勝負」に通じ、引き続き行なわれる競馬の勝敗を予祝する。

陰陽祓、さまざまな儀式には祓い清めが行われ、それぞれ陰陽道の思想と作法に基づいているという。

頓宮


本殿脇の小祠、棚尾社、祭神は門番の神、櫛岩窓神(くしいわまどのかみ)、豊岩窓神(とよいわまどのかみ)の二神。

神事、念人奉幣

神事、念人奉幣

乗尻は安全祈願のため前日の5月4日、久我神社、大田神社を参詣する。(久我神社)
競馬会(くらべうまえ) 5月5日 上社

素駆(すがけ)、最初に疾走する倭文庄の馬、続いて加賀國金津庄の馬がそれぞれ単独状態で走る。乗尻は手に指鞭を持ち、赤一番は、後方に向き鞭を指す。


競駆
 競馬会神事(くらべうまえしんじ)は、鎌倉時代初めに確立されたという。
 境内に設けられた芝生の馬場(約400m)で行なわれる。「出社之儀」「奉幣之儀」の後、南から北へ向けて「競駆(きょうち)」が行われる。
 馬場には勝敗の目印となる木々が植えられている。「馬出しの桜」(出走点)、「見返りの桐」(騎手が姿勢を整える)、「鞭打ちの桜」(馬に鞭を入れる)を経て、「勝負の楓(勝敗が決する地点)間で争われる。
 競馬会には二頭の馬が出走する。乗尻は、狛桙(こまぼこ)の装束の赤い袍(ほう、上着)を着た左方(「赤」)、打毬楽(だきゅうらく)の装束の黒い袍の右方(「黒」)がいる。これらはいずれも舞楽の衣裳であり、かつては、乗尻により、競馬後に、舞楽「蘭陵王(左舞)」と「納蘇利(右舞)」が奉納されていたという。
 馬はかつて、荘園から贈られた野生馬の荒ぶる「清い馬」が使われた。その名残から現在でも、馬には「能登国」「加賀国」などの荘園名が用いられている。その中でも特に、美作国倭文庄(しどりのしょう)の馬は、最重視され、馬装も豪華なものとなっている。
 競駆は、「三遅」「巴」「小振」の儀により、手綱を引かれた馬が、馬場元から馬場を7往復半する。続いて競馬会では、素駆(すがけ)といわれ、左方の倭文庄の馬、続いて加賀国金津庄の馬が単独で走る。一番の勝敗は左方が勝つことに決まっている。かつて「菖蒲の根合」で、赤は上賀茂神社の神に祈願し、黒は石清水八幡宮に祈願し、赤が勝たため、以後黒は負け馬となる慣わしになっている。
 二番以降の勝敗は、追馬、先馬の競駆となり、「冠合わせ之儀」の後、二馬身先に出た先馬と追馬の差が広がれば前の馬の勝ちとなり、その逆は後手の馬の勝ちになる。
 勝った乗尻は、賞の禄絹を鞭で受け取り、頭上で2回まわして返す。さらに、頓宮前で報告する。
 京都市の登録無形民俗文化財に指定されている。
 なお、「埒(らち)があく、埒があかない」の語源は、この競馬会にあるという。埒とは競馬場の低い柵、仕切りのことで、いまも施されている。祭事が終わり、この柵が取り払われることを「埒があく」といった。
 

黒い袍の右方、狛桙の装束、蠻絵闕腋(ばんえけってき)という衣装の上に七宝紋の裲襠(りょうとう)を重ね着している。

赤い袍を着た左方、打毬楽の装束。

乗尻は胸に小さな蓬と菖蒲を付けている。
乗尻の冠には「物忌」と書かれた小さな文字が付けらている。

馬は美作国倭文庄(しどりのしょう)の馬。

勝った乗尻は、頓宮前で告げる。
御蔭祭(みかげまつり) 5月12日 下社、御蔭神社、賀茂波璽神社

錦蓋を装飾された神馬(じんめ)、三懸(さんがい)という馬具、面懸(おもがい)、胸懸(むながい)、鞦懸(しりがい)で飾られている。鐙(あぶみ)は金色で、口の轡(くつわ)は、葵紋の透かしが彫られている。綱は、ひかえ綱、手綱など。 *ひかえ綱の、「ひかえ」は手扁に口


下鴨神社、東游<あずまあそび、東舞>の奉納、舞は拍子、付歌、和琴(わごん)、笛、篳篥(ひちりき)、舞人6人からなる。装束は巻纓冠(けんえいのかんむり)、青摺袍(あおずりのほう)、青摺袴。句頭(くどう)と数人の付歌が古代歌謡、駿河歌を唱歌し、舞人が神馬の前で舞を奉納する。東国の風俗歌と舞がもとになったとの説と、飛鳥時代の安閑(あんかん)天皇の頃、駿河宇土浜に降りた天女伝説をもとにしているともいう。


還立の儀、神馬に向って楽「三台塩」が奏される。下鴨神社


下鴨神社、勧盃儀
 御蔭祭(御蔭神事)は、古代より賀茂祭の前儀とされてきた。下鴨神社の祭神・賀茂別雷神が出現したといわれる比叡山麓の御蔭山(京都市左京区上高野)に降りた祭神の荒御魂(あらみたま)を、下鴨神社の和御魂(にぎみたま)と一体化し、祭神の甦りを行う重要な神事となっている。古代から鴨氏による祭祀ともとの氏祖神の祭をあらわし、現在は氏子の祭りへと変化している。
 紀元は、飛鳥時代、綏靖(すいぜい)天皇の時代(在位BC581-549?)と伝えられ、文献での初出は1443年(『康富記』)という。神社祭祀法制化(1868)以前は、「御生(みあれ)神事」といわれていた。
 旧暦四月の午の日、禮殿での解除(げじょう)の樹下神事(じゅげしんじ)、本宮を進発する際の歓盃(かんぱい)の儀、神領内行粧を整える檜垣(ひがき)。御蔭山の山麓の船繋ぎ岩(磐座(いわくら))での御生神事、御蔭山の麓を巡る神おろしの神事、神領内総社神前での路次祭(ろじさい)。糺の森での芝挿神事(しばさしのしんじ)、切芝神事(きりしばのしんじ)、正官が御綱をひく、本宮の儀などからなっていた。近代以降、上知令後は、各総社の独立などにより神事が略されるなどした。
 当日午前、下鴨神社で神霊櫃(しんれいびつ)が宸殿から降ろされ、権宮司が櫃を持つ。神職や氏子からなる行粧は進発し、下鴨神社の摂社・御蔭神社を目指す「神幸行粧」が行なわれる。かつては往復路を徒歩で巡行したが、現在は大部分を車で移動している。
 御蔭神社では、「遷御(せんぎょ)の神事」が行われる。御神宝が握に納められる。東西二つの神殿内陣に芯榊(15cm)の「御生木」(みあれぎ)が置かれている。太陽の南中する「牛の刻」に、荒御魂(あらみたま)は降臨し、御生木に移る。神殿内で甦った神霊・荒御魂が御生木より神霊櫃に遷される。御神霊は御蔭山を下り、御車に遷される。
 行粧は、途中で賀茂波璽(かもはに)神社に立ち寄り、ここでは「路次祭」が行なわれ、神事、舞人の「還城楽(けんじょうらく)」が舞われる。
 この後に、河合神社で神霊櫃は白馬の神馬(じんめ)に移される「神馬に遷御の儀」が行われる。馬の背の鞍は、「東山天皇御奉納の鞍」といわれ、鞍は錦蓋(きんがい)で覆われ、その上に神鳥の鸞鳥(らんちょう)という鳳凰の一種で、羽毛は赤色の想像上の鳥が載る。鳴き声は、錦蓋の鈴の音と和するという。
 神馬と行粧が参道を進む「切芝(きりしば)行粧」が行なわれる。糺の森中ほどの「切芝」(祭祀場)で、神馬は幄(あく)に引き入れられる。その前で神を歓待するための「三代詠」、「東游(あずまあそび)」などの舞楽が納される「切芝の儀」が執り行われる。
 さらに、切芝から本殿までの「還立の儀、還立行粧」が行なわれる。幣殿では「本宮の儀」が行なわれる。神霊櫃から「御生木」が移され、下鴨神社本宮殿内に荒御魂は迎えられ、賀茂祭当日を待つ。

祭り当日の荒御魂(あらみたま)の所在
*推定です。
御蔭神社 船繋ぎ岩(磐座)に荒御魂降臨?→御生木→神霊櫃→御車→
賀茂波璽神社  →御車→神霊櫃→御生木?→本殿→御生木?→神霊櫃→御車→
下鴨神社 →御車→神馬の錦蓋内→御生木?→神馬とともに幄(あく)内?→御生木?→本宮で御生木→本社へ


*御蔭祭巡行日程は変更になる場合があります。

1.下鴨神社 9:00 諸員参集、9:20 勧盃<かんぱい>の儀(神職が神酒を拝戴して祭儀の成功を祈る)、樹下<じゅげ>神事(樹木の下で清流に臨み、自然の気を受けて祓いを行う)、神宝伝授、9:30 本宮進発の儀、社頭進発

2.御蔭神社 10:30 到着、11:00 御蔭山の儀、12:00 御生<みあれ>神事、12:30 進発

→12:45 北泉通

3.賀茂波璽神社 13:10 到着、路次祭

→14:40 貴船町→15:10 下鴨中通→河合神社→

4.下鴨神社 15:40 神馬に遷御<せんぎょ>の儀、16:00 切芝<きりしば>神事、16:45 還立<かんりゅう>の儀(神馬に向かい楽を奏し、行粧を整え本宮に向う)、17:00 本宮の儀、1730 各退下

樹下神事、下鴨神社

行粧進発、神宝、威儀物を授ける、下鴨神社

下鴨神社

下鴨神社

御蔭神社

御蔭神社、御蔭山の儀、かつて社殿がなかった時代には、樹木により囲い、「芝挿(しばさし)」(清浄地)とした。本殿の御簾には葵と桂が飾られている。

御蔭神社、刀禰(とね)といわれる門番が本殿の両脇に控える。世襲制で、カモ一族とのかかわりの深い人々による。

御蔭神社、本殿に供された神饌

御生<みあれ>神事、神饌は下げられ、荒御魂(あらみたま)の降臨を待つ。御蔭神社

御蔭神社、井水


御蔭神社、御生木(みあれぎ)、榊の若葉は神の依代(よりしろ)となる。


御蔭神社、神霊櫃内の御神霊が山を下る。

御蔭神社

賀茂波璽(かもはに)神社

賀茂波璽神社、路地祭

舞楽の奉納、賀茂波璽神社


糺の森を進む行粧、神馬、下鴨神社

切芝の神事の儀、下鴨神社



神馬は幄(あく)に引き入れられる、下鴨神社

東游、神馬に向って舞が奉納される。下鴨神社

下鴨神社、白杖が氏人から童形に手渡される。杖は、進む方向わ表すという。

下鴨神社

還立行粧、下鴨神社

神霊櫃を乗せた神馬、幣殿へ奉牽、神馬は御生綱により引かれている。下鴨神社

本宮の儀、神馬、中門内から本宮へ入る、下鴨神社

御神霊は本宮に入り、門扉は閉められる。下鴨神社

錦蓋を外された神馬、中門より出る、下鴨神社

当日の本宮、下鴨神社

錦蓋、下鴨神社
御阿礼(みあれ)祭、神事  5月12日 上社

当日の上賀茂神社一ノ鳥居
 上賀茂神社の祭祀の中では、最も古く重要な神事。葵祭に先立ち、夜半に闇の中で神職のみで行なわれる。非公開。
 神事の斎場は、上社の北西にある丸山の南麓「御阿礼所」(御生所)に、神籬(ひもろぎ)の囲いがつくられる。かつてはさらに北の神山(こうやま)で行なわれていた。御阿礼所の中央には、榊に垂の「阿礼木」が立てられ、南に松の丸太二本の「御休間木」(おやまぎ)が扇形に突き出している。さらに二つの立砂(たてすな)が設けられる。
 さまざまな御阿礼神事は宮司、矢刀禰(やとね)などによって行なわれ、さらに本殿に場所を移される。本殿内陣には御帳台(みちょうだい)に「勧請の小麻」(かんじょうのこぬき、阿礼棒)がある。
 この夜、みあれ(生(あ)れ、再生)した神霊(別雷神)は、御阿礼所の御阿礼木、御休間木から、矢刀禰の真榊を経て、本殿小麻に移され、賀茂祭当日を迎える。

当日の二ノ鳥居、午後8時前、松明の火を先頭に、20人ほどの神職が二の鳥居をくぐり、闇の中に消えていった。

丸山
琵琶湖堅田供御人行列・鮒奉献  5月14日 下社
 賀茂祭前日の午前、下鴨神社では、琵琶湖堅田供御人行列・鮒奉献が行われている。
 これは近年(1992?)に始まった奉仕で、祭り当日の安全祈願のために行われる。堅田・伊豆神社、神田神社の氏子ら総勢40人によって、琵琶湖で取れた鮒と鮒寿司、鯉が奉納されている。
献茶祭など 両社

神事、下社
 両社では、賀茂祭の事前と事後に、献茶祭、献煎茶祭、献香祭、献花祭などが行なわれている。
 これらは、賀茂祭を行なうにあたって、恙無く祭礼が進むことを神に祈願し、また、祭礼の後は、無事に滞りなく祭礼が行なわれたことを神に感謝する意味が込められ、奉納されている。

武者小路千家家元による献茶の奉仕、下社

上社、献茶祭、本殿に向かう裏千家家元ら
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